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【感想】NHK 歴史探偵「ツタンカーメン 歴史の闇に消えた少年王」を視聴しました
2023年4月12日(水)22:00~22:44、歴史探偵「ツタンカーメン 歴史の闇に消えた少年王」を視聴しました。
<始まる前に>
いきなりエジプトかあ。。。
関心ないけど、楽しみましょう。
<NHKのあらすじ>
黄金のマスクで知られる古代エジプトの少年王ツタンカーメンの謎に迫る!
妻のものとされるミイラの撮影に成功。
エジプトと探偵事務所を中継で結び、王墓内にも潜入調査!
■ツタンカーメン 王墓から”中継調査”
■スタジオと接続
佐藤所長「一番有名なエジプトの王ですよ」
王家の谷の多くの墓は盗掘されましたが、ツタンカーメンの墓はほぼ手つかず状態でした。
復活のための儀式が描かれています。
「口開けの儀式」は復活に欠かせない儀式だったのです。
「石の棺」にミイラが置かれ、ツタンカーメンが横たわっています。
黄金のマスクがミイラに被されていました。
20歳前後で亡くなったと考えられています。
身長167cmで当時の平均的な身長でした。
まずはツタンカーメンが生きた時代とは?
■ツタンカーメンの時代
紀元前3000年頃に始まった古代エジプト文明、ギザの三大ピラミッドはファラオによって作られました。
カルナック神殿など豪華な神殿が次々に作られ最盛期を迎えます。
ツタンカーメンの祖父の時代には富がエジプトに集まりました。
ツタンカーメンは紀元前1341年頃誕生、王国を揺るがす危機が迫っていました。
■王国を揺るがす危機とは?
アクエンアテン王の都があったアマルナスへ
・スティーブンスさんとダブスさん
300体以上の人骨を分析したところ、20~24歳の女性で、脊椎がすり減り空洞が露出しています。
思い石材を毎日運び続け、骨がすり減り過酷な労働をして、亡くなったと考えられています。
アクエンアテンによる政治は、多神教1500を超える神々すべてを否定、太陽神アテンを唯一神だとしました。
神殿やモニュメントを破壊、信仰の自由を奪い、新しい都を建設することにしました。
■前代未聞の宗教改革
前代未聞の宗教改革でエジプトは、かつてない混乱に包まれることになったのです。
紀元前1336年頃、アクエンアテンはこの世を去ります。
大衆の怒りの矛先は王の墓へと向かいました。
・ハマダ・ケラウェイさん(考古学者)
アクエンアテンの顔を覆っていたマスクが無惨にも破壊されています。
王の壁画の顔も剥ぎ取られています。
ここに描かれた赤ん坊がツタンカーメンだと考える研究者がいます。
しかし、その顔は父と同じく剥ぎ取られたように見えます。
■スタジオで
佐藤所長「ツタンカーメン、ものすごい混乱の時代に出てきたんですね」
・河江肖剰さん(名古屋大学)
「60 くらいの祭りを全部なくして、一神教になり、すべてクローズされました」
「自由な芸術の表現が行われた時代で、政治家というより芸術家ではなかったかと思います」
黄金のマスクを見ると、コブラは北のエジプト、ハゲワシは南のエジプトを意味します。
ハゲワシのネックレスのラピスラズリはトルコ石でシナイ半島から輸入していました。
「ツタンカーメンは混乱の中でもなんとか先に進もうとしていた少年王として活躍しました」
■意外な実像
カルナック神殿(ルクソール)
荒廃した神殿を少年王ツタンカーメンが復活させます。
・ロトフィー・ガジさん
「ツタンカーメンの復興碑文」古代の神々を復興させた様子が詳しく記されているのです。
彼は即位4年目にして神殿を修復し多神教を復活させました。
都をメンフィスに移しました。
伝統的暮らしに戻すことで人々の心を捕えていったのです。
・サハル・サリームさん(カイロ大学)
さらに、少年王の意外な姿がわかりました。
「革の鎧」ツタンカーメンが進んで戦地に赴いていたことがわかる傷が見つかりました。
バイタリティあふれる性格で、戦場で自ら戦っていたと思われます。
チャリオットに乗ったツタンカーメンが異民族と戦う様子が描かれています。
ヒッタイトは鉄の大量生産に成功したことで急成長し、エジプト領内に攻め込んできました。
ツタンカーメンは危険を顧みず、進んで戦いに出たと考えられます。
■妻アンケセナーメンとの愛
アンケセナーメンはツタンカーメンの妹でした。
王妃が小さく描かれるのが一般的でしたが、アンケセナーメンは大きく描かれていました。
「黄金の厨子」には二人の日常が描かれています。
いつも夫に寄り添い愛が強かったことがわかります。
■その最期とは?
ミイラの膝のCT画像には、大きな亀裂があり、重度の骨折をしたことがわかります。
チャリオットを復元してスピードを測ると、骨折を起こす十分なスピードが出ていたことがわかります。
車から転落、感染症にかかり亡くなったと考えられています。
20歳前後で妻を残し先だつことになったのです。
■スタジオで
・河江肖さん「内反足で足も悪く、前線に戦いに行って勇気をもって戦った王でした」
ツタンカーメンの死後、何が起きていたのか推理してもらいます。
ヒント➀棺の割れたフタ
ヒント➁壁画のカビ
佐藤所長「カタカナで4文字、バタバタ!」
大正解です!
「後継者がいなく、誰がなるか後継者争い権力闘争が行われていたようです」
おもわぬ悲劇をもたらすことになります。
■歴史から消されたツタンカーメン
・ロトフィー・ガジさん(エジプト考古学博物館)
カルナック神殿で発見された石像です。
その顔は黄金のマスクによく似ています。
しかし、そこには別の人物の名が刻まれていました。
ホルエムヘブという名前で、ツタンカーメンの名前が削り取られ書き換えられていたのです。
軍の最高司令官ホルエムヘブの名がきざまれていたのはなぜでしょうか。
宗教改革に対する反対派の筆頭でした。
アイの後継者を倒し、力ずくで王になり、ツタンカーメン一族の功績を消し去り、歴史から抹消されたのです。
更に、妻のアンケセナーメンも消されていたと見られます。
■襲った悲劇
アンケセナーメンと見られるミイラの撮影が許されました。
ひどく損傷したミイラが現れました。
意図的にミイラを壊す破壊行為が行われていたと考えられます。
・大城道則さん(駒澤大学)
ホルエムヘブに暗殺されたと考えられます。
アンケセナーメンは敵国ヒッタイトに手紙を送り、王子と婚姻関係を結ぼうとしました。
これは、裏切り行為として、さらにホルエムヘブの怒りを買ったと思われます。
埋葬されていたとみられる墓にやって来ました。
小さな墓、壁画はありませんでした。
破壊された後、雨の土砂が入り失われたと見られます。
歴史の闇に消えていきました。
そして、およそ100年前ツタンカーメンが発見され、再び歴史の表舞台に戻ることになりました。
■花輪が語るもの
■スタジオで
100年前に発見したツタンカーメンの写真に、花輪が写っています。
棺を発見したハワード・カーターたちが写した写真です。
「この端は夫に先立たれた王妃が亡き夫に捧げた最後の贈り物と考えたい。花輪ほど美しいものはなかった」
佐藤所長「消されたゆえ複雑な気持ちになります」
河江肖像さん「歴史の3000年以上のものがぐっと縮まる感覚です」
ーーーおわりーーー
次回は「坂本龍馬 本当のスゴさとは!?」4月19日(水)放送です。
■感想
多神教が潰され、一神教に強制改宗されたとは、日本とは少し違いますね。
いや、日本でもエジプトと同じようなことが起きていたのかも知れませんが、証拠がありません。
しかし、現代の日本の信仰を考えると、多神教は日本人の心に残っているので、強制改宗は無かったと推測できます。
ツタンカーメンが盗掘されずに残っていた理由がわかり、納得です。
貴重といえば貴重ですが、歴史の断片に過ぎないのが考古学の限界でしょうか。
それに、歴史学者も人の子、自分で描くストーリーにこだわりがちなのが玉にきず。
本当に勇気のあった王であり、妻と仲良かったか、なんて誰にもわからないでしょうね。