【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第21回「仏の眼差し」
2022年5月29日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第21回「仏の眼差し」を視聴しました。
<始まる前に>
ちょっと今回の展開は予想できませんでしたので、素直に視聴してストーリーを楽しむことにします。
北条家と頼朝との関係かな?ひょっとして・・・
<NHKのあらすじ>
源義経(菅田将暉)を失った奥州に攻め込み、藤原泰衡(山本浩司)を討ち取る源頼朝(大泉洋)。
義時(小栗旬)・畠山重忠(中川大志)らが在りし日の義経をしのぶ中、頼朝は毅然きぜんと上洛に向けて動き出す。
一方、京の後白河法皇(西田敏行)は丹後局(鈴木京香)と今後の動静を憂慮し、きたるべき日に備えていた。
そんな中、鎌倉では八重(新垣結衣)が子どもたちの世話に奔走。
八重の明るい表情に、政子(小池栄子)も目を細めるが……
■プロローグ
義経のことを想う元気のない義時に対し、土肥実平(阿南健治)が声をかけます。
八田知家(市原隼人)が登場、鎌倉中の道を歩きやすくするよう頼朝に命令され掘っていルトのこと。
預かって欲しい孤児がいると義時に依頼されます。
八重のところでその鶴丸を預かることになりました。
---曲---
エバン・コール
■ナレーション(長澤まさみ)
藤原泰衡は義経の首を差し出した。
しかし、それは頼朝の罠。
義経という武器を失った平泉はもはや鎌倉の敵ではなかった。
■平泉を制圧
「頼朝は奥州に攻め込み、鎌倉方が圧勝」(長澤まさみ)
泰衡の家人・河田次郎(小林博)が泰衡の首を持参してきました。
頼朝は、恩を忘れて欲得だけで主人を殺すとは何事かと、河田の首をハネます。
「日の本すべてを平らげた、源氏の世はもうすぐそこだ」
「だがその前に大天狗をどうにかせぬと」(頼朝)
義経の逸話話で盛り上がる御家人たち、原因を作った梶原景時は好かないと話しています。
■頼朝
時政は息災かと尋ねている、後白河法皇に気に入られているようです。
どのように取り入ったのでしょうか?
双六でズルはいけないと後白河法皇に肝が座っているところを見せます。
「言うのー」(後白河法皇)
頼朝は、後白河法皇からの恩賞を断りました。
法皇の言うなりにはならない、という意思表示です。
平知康(矢柴俊博)は、頼朝追討の宣旨を出したことを怒っているといいます。
後白河法皇と丹後局(鈴木京香)は、すべて平知康のせいにして追い出します。
■金剛と万寿
万寿(鳥越壮真)と金剛(森優理斗)が対面します。
鶴岡八幡宮を参詣するので、金剛に万寿のお供をして欲しいと要請する政子です。
八重に対し昔の話をする頼朝、政子は話を変えようとしますが、頼朝は気が付かないようです。
頼朝は金剛の烏帽子親を務めると願い出ます。
■八重と義時
もっと自信を持てと義時を励まします。
八重は、あなたが今の鎌倉を作ったのだ、といい二人は抱擁します。
■北条家集合
りく(宮沢りえ)と時政に男児が生まれました。
大姫(南沙良)は今日から名前をあおいに変えた、とりくたちに話します。
大姫はおまじないの唄を歌います。
畠山重忠(中川大志)が時政の娘・ちえ(福田愛依)と結婚し、子を宿したことを話します。
稲毛重成(村上誠基)とあき(尾碕真花)も結婚し、北条家の一員になっていました。
八重が自分で編んだ草履を時政にプレゼントします。
北条時連(瀬戸康史)は義時の弟です。
りくは金剛を孤児たちと一緒にしていてはだめだと厳しい言葉を浴びせます。
りくは、比企能員だけを贔屓している、畠山重忠ももっと目立つ働きをしないといけないと戒めます。
時政は、奈良の運慶という仏師に彫らせた仏像を見にいこうと義時を誘います。
実衣(宮澤エマ)と政子は魔除けとか光源氏を読んでいた大姫を心配しています。
■子どもたち
鶴丸をいじめる金剛を八重は諭します。
本当は、金剛が一番大事だと抱擁します。
■伊豆・願成就院
時政と義時は阿弥陀如来を見にやって来ました。
仏師・運慶(相島一之)がホコリまみれで現れます。
無礼な言動をする運慶に時政は言葉が出ません。
見事な阿弥陀如来が現れました。
阿弥陀如来の顔立ちが誰かに似ているといいます。
■川辺で
三浦義村(山本耕史)と八重は、義村の娘と金剛が仲が良く夫婦にさせようかと話しています。
義時が奥州から帰ってきて元気がないのはなぜかと問いますが、義村ははぐらかします。
その時、鶴丸が川の中瀬に取り残されてしまいました。
亡き我が子・千鶴丸を思い出し、とっさに八重が助けに行きます。
義村が鶴丸を抱いて陸にあげることができましたが、八重が行方不明に。
■八重行方不明の一報が
政子に八重が行方不明と知らせが入りました。
三浦義村は家人が捜査中ですが、大姫は助からないと断言します。
頼朝のもとにも八重行方不明の知らせが入り、御家人総動員で探させます。
■その時、義時は
願成就院の阿弥陀如来の前で義時は宴会中でした。
政子のもとに仁田忠常(高岸宏行)から、八重死亡と連絡が入りました。
運慶は阿弥陀如来は母親に似ているといいます。
----つづく----
次回は第22回「義時の生きる道」6月5日放送です。
■感想
八重さんが亡くなってしまいました。
やたら八重に焦点を当てる回だなあと見ていたらやっぱり。。。
元々、史実には登場しない八重姫ですから、自由なストーリーを創作できたのですが、ここで退場とはちょっと残念。
これで八重と義時の恋愛物語は終息し、ちょっとおかしな大姫の物語へと移っていくんでしょうか。
戦乱で殺し合い続きの番組の中で、一時の清涼剤だっただけにすこし寂しいです。
そして、八田知家、北条時房(時連)、運慶が急に登場です。
知家登場で、鎌倉殿の13人がすべて登場?かな。
そして運慶役の相島一之さんは『相棒』に出てくる悪い官僚のイメージを払拭するインパクトでした。
■勝手に解説
北条義時により、鎌倉時代に興隆した北条氏ですが、その出自は明らかではありません。
桓武平氏の平直方を始祖と名乗っていたことは確かなようですが、正統の系図は残っておらず、その出は名門とか大勢力と呼べるものではなかったというのが通説です。
頼朝が大豪族の北条氏の力を借りて平氏打倒に乗り出したということではなく、北条時政、義時親子が源氏嫡流の貴種・頼朝を担いで千載一遇のチャンスを得ようとした、というのが実情のようです。
そんな弱小軍団を執権まで昇格させたのが北条義時です。
父親の北条時政とともに頼朝挙兵に参加して、承久の乱で勝利し、頼朝の事業を発展、昇華させました。
まだ先のことですが、義時は得宗家と呼ばれ、以後の北条氏嫡流の呼称となりました。
義時の父・時政を初代得宗とし、2代義時から泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時まで9代を得宗と呼びました。