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【感想】新・幕末史 グローバル・ヒストリー 「第2集 戊辰戦争 狙われた日本」

2022年10月23日(日)21時 新・幕末史 グローバル・ヒストリー 「第2集 戊辰戦争 狙われた日本」を視聴しました

<始まる前に>
今日は後編、戊辰戦争と欧米列強の話です。
どういった新説が語られるのか楽しみです。

<NHKのあらすじ>
新・幕末史、第2集は日本を変えた内戦・戊辰戦争。
新政府と旧幕府勢力がぶつかった戦いの裏で、外国勢力による日本植民地化計画が進められていた。
プロイセン、後のドイツ帝国は、旧幕府側の会津藩にスパイを送り込み、支援と引き替えに北海道の植民地化を企てる。
アメリカやイギリスも行動を開始。ガトリング砲など、大量の新兵器が日本に流れ込んでいく。
欧米列強の野望が渦巻く中で行われた戊辰戦争を新たな視点で描く。

■プロローグ

ドイツ、150年前幕末日本をめぐる極秘計画があったことが判明しました。
「蝦夷、北海道こそが我らの植民地にふさわしい」
ドイツは北海道を自ら支配しようとしていました。
オットー・フォン・ビスマルク、ドイツ帝国の首相です。
植民地化計画、その時日本は混乱に陥っていました。戊辰戦争。
戦場で見つかったのは新型銃の弾丸。
世界各地で見つかった機密資料を調査、欧米列強が戊辰戦争に大きな影響を与えていた事実が見えてきました。

■戊辰戦争:ナビゲーター西島秀俊さん

世界の資料を読み解き、新たなグローバル・ヒストリーとして描きます。
第2集は戊辰戦争です。
1867年、大政奉還で天皇に政権を返上しますが、薩摩・長州と旧幕府勢力の間で戦争が勃発します。
イギリスは徳川を見限り新政府を支援、フランスは徳川を支援します。
1868年1月27日、戊辰戦争勃発。
鳥羽・伏見で最初の戦いが始まります。
これまで、近代兵器を有する新政府軍が時代遅れの旧幕府軍を圧倒したと伝えられてきました。

■列強のパワーゲーム

妙教寺には旧幕府軍の攻撃の跡が残されています。
これがその時の砲弾と跡。

妙教寺 砲弾が貫いた柱 Wikipedia

旧幕府軍が使用したのは四斤山砲、フランスで開発されたばかりのものでした。
徳川幕府はフランスの軍事顧問団を招き、近代的な軍隊を持っていたのです。
相対する新政府軍の西郷隆盛苦戦を強いられます。「どげな手を使うても勝つ」
危機感を抱いたのがイギリス、ハリー・パークス
「薩摩・長州は徳川に勝てるでしょうか」
「勝ってもらわないと困る」
ヴィクトリア女王が天皇に当てた手紙には、徳川幕府に代り新政府を承認するとあります。
・アントニー・ベスト教授
イギリスは、幕府が国内的にも対外的にも問題があり、新政府が正しいものと考えていたのです。
ロンドンにパークスが送った報告書が残されていました。
「本官は各国代表と会談を持つことにした」
各国代表が集まります。イギリス、フランス、アメリカ、オランダ、イタリア、プロイセン。
オランダは開陽丸を幕府に提供、海軍の強化に関わってきました。
アメリカは最新の軍艦の売買契約を幕府と結んでいました。
一方、この時点では、薩長は反乱分子でしかありません。
こうした状況でパークスが呼びかけたのが局外中立です。
フランスは方針は変えられないと反発します。
パークスの意向が事態を動かします。
自国民の保護です。
貿易港は4箇所、外国人の保護は幕府が責任を持っていました。
ところが、戊辰戦争によって貿易港は分かれて支配されてしまいます。
そのため、もし一方を援助すれば外国人の保護をやめてしまう恐れがありました。
アメリカは賛成を表明「自国民の保護は我々の義務だ」
1986年2月、6カ国は局外中立宣言
戦局が大きく変り、アメリカは軍艦引き渡しを凍結、フランスも軍事顧問団を撤退させます。
こうした情勢の中、1868年5月、江戸無血開城、徳川の時代は終結したのです。

■ナビゲーター西島秀俊さん
イギリスの望む日本が誕生したかのように見えます。
しかし、戦局が一変、会津藩、庄内藩が氾濫奥羽列藩同盟を立ち上げます。
当時のニューヨーク・タイムズの記事
「北の同盟は独立した政権として君臨するだろう」
イギリスに出遅れていた国が注目を集めます。
プロイセン、ヨーロッパの新興国です。

■ドイツプロイセンの野望

プロイセン帝国の首相、オットー・フォン・ビスマルク
鉄血政策、軍事増強です。
ヨーロッパで領土を拡大していきます。
次に目を向けたのが、東アジアでした。
機密文書が見つかりました。
戊辰戦争の情勢についてプロイセンの意外な見通しが記されていました。
「北部の同盟軍は勝利をおさめるだろう」
奥羽列藩同盟の戦いとはどんな戦いだったのか。
新潟県小千谷の朝日山が激戦区でした。
かつての戦場を調査しました。
金属探知機で地中を探ります。
わずか1時間で何か反応がありました。
見つかったのは椎の実型の銃弾「エンフィールドの銃弾」です。
・淺川道夫さん
エンフィールド銃、南北戦争の主力兵器です。
10発の弾丸が見つかりました。
弾丸は奥羽列藩同盟軍が新政府軍に打ち込んだものである可能性が高いのです。
「近代的な戦法をいろいろ駆使していると思われます」

オルガン弾きのライバルと題された当時の諷刺画です。
パークスが菊の紋のオルガンを奏でています。
一方、反対側は徳川の葵の紋が入ったオルガンです。
これがマックス・フォン・ブラント、プロイセン代理公使です。
・ジョナサン・グラント教授
「フランスの軍事顧問団は撤退していなくなった。プロイセンのためにあるようなもの」
武器供給ビジネスを開始したのです。
国際法の隙きを突く巧妙なものでした。
重要な役割を果たしたのが、武器商人、個人の商売は認められていたからです。
新潟を函館、兵庫、長崎に次ぐ貿易港として開港させます。
その結果、武器商人が押し寄せたのです。
背景にあったのはアメリカ南北戦争で、武器あまりが発生、これらが流れ込んだのが日本だったのです。
■ガトリング砲
・河井継之助(長岡藩家老)
ガトリング砲、南北戦争で初めて実践で使われました。
この兵器が開発されたアメリカ、当時の設計図を元に復元されたガトリング砲で検証します。
その威力は毎分200発、兵士100人分に及ぶことがわかりました。
さまざまな勢力が武器商売を始め、武器市場ができ、欲しい物が手に入る状態でした。
当時日本には、3門あったと見られ、そのうち2門が奥羽列藩同盟軍の手に渡りました。
原因の一つになったプロイセン、ある野望があったことが最新の研究でわかってきました。
それが北の大地、北海道です。

■北海道 植民地化計画

アイヌの衣装、ブラントが蝦夷調査で持ち帰ったものです。
そこには、ある計画が秘められていました。
ブラントの報告書です。
「蝦夷の気候は北ドイツと似ており、あらゆる農作物が成長し、150万人のドイツ民を受け入れることができるでしょう。蝦夷こそが植民地にふさわしいと申し上げます」
・ケネス・ポメランツ教授
「東アジアで利権を持つことが必要不可欠だと考え、戊辰戦争は絶好の機会でした」
「プロイセンにとってこの計画はおかしなものではなかったのです」
そのために近づいたのが東北諸藩だったのです。
蝦夷の警備を担ったのは庄内藩や会津藩などの東北諸藩でした。
・会津藩 松平容保
ハインリッヒ・シュネル(通訳)がやって来ました。
武器取引を通じて列藩同盟の信頼を勝ち取るようになります。
蝦夷の土地を担保に金を貸してほしいということです。
これに応じれば、蝦夷は99年間プロイセンのものになります。
多額の軍資金が必要になり、代償として蝦夷の権利を譲り受けようとしたのです。
「ドイツ連邦公文書」機密資料です。
プロイセン本国はどう応じたのか。
ビスマルクの決断が記されています。
「ブラントに会津・庄内藩との交渉開始の権限を与える」

■イギリス 勝利の秘策

しかし、ある国が立ちはだかります、新政府を後押しするイギリスです。
・アーネスト・サトウ(イギリス外交官)
新政府に対して、新潟の武器取引をやめさせる策を授けます。
新潟港を海上封鎖し、外国船を派遣するというものです。
西郷ら新政府は外国からの反発を恐れ、新潟港の封鎖に慎重でした。
しかし、イギリスは国際法で認めらたものであり、他国を恐れることはないと伝えます。
これにより会津藩は降伏、まもなく東北全土が新政府に下ります。
これで、プロイセンの蝦夷植民地化計画は実現せず、歴史の闇に消えていったのです。

■ナビゲーター西島秀俊さん
これらは、日本側に記録が残されておらず、幕末の裏側です。
榎本武揚が函館五稜郭を占領、新政府と対立します。
その時、別の外国勢力の動きがありました、北の大国ロシアです。
戊辰戦争最後の戦いが始まります。

■箱館の戦い 最後の駆け引き

旧幕府艦隊、その旗艦が開陽丸、世界屈指の攻撃力を誇る軍艦です。
艦隊を率いる榎本武揚「決して負けぬ」
ヨーロッパへの留学を経験した榎本武揚は、独自に諸外国と交渉を始めます。
榎本の動きに危機感を抱いたのがパークスです。
ロシアの動向です。
ロシアは南下政策をとり、イギリスと衝突していました。
樺太(サハリン)でロシア化を押し進めていました。
戊辰戦争はロシアにとって都合の良いときに起きました。
イギリスにとって大きな脅威でした。
切り札となる船が横浜に停泊していました、ストーンウォールです。
船体には厚さ14cmもの鉄板が張られ、開陽丸を上回るまさに不沈艦です。
この船を新政府に引き渡すことができればイギリス有利にできます。

アメリカ軍艦Stonewall(後の東艦) Wikipedia

あの局外中立が障害となっていました。
1869年1月18日外国代表の会議で、パークスが動きます。
「もはや局外中立は撤廃すべきだ」
しかし、プロイセンなどは、局外中立を守るべきだと主張します。
これに対し、パークスは「榎本武揚は反乱分子にすぎない」
1869年2月、局外中立は撤廃されました。
6月、新政府艦隊が箱館を攻撃、榎本武揚艦隊が迎え撃ちます。
外国人の記録が残されていました。
「ストーンウォールにはイギリス人たちが乗り込んでいる」
イギリスも新政府への支援が可能になったのです。
新政府艦隊は、遂に榎本武揚艦隊を壊滅させます。
6月27日榎本武揚降伏「我らは薩長に負けたのではない、イギリスに負けたのだ」
1年5ヶ月にわたった戊辰戦争は集結しました。

■日本の新たな挑戦

そして日本は新たな時代を迎えます。
オーストリア国立図書館の明治初期の原版ネガです。
次の戦いが始まります。
大国の力を積極的に取り入れようという日本の姿が写し出さていました。
1872年10月、イギリスから資本提供、新橋横浜間で鉄道が開通。
アジアでいち早く産業の近代化に成功します。
富岡製糸場はフランスの技術で築かれました。
高品質の絹は最大の輸出品となり、日本の経済成長を押し上げていきます。
1889年、大日本帝国憲法を発布、手本にしたのはビスマルクが作った憲法でした。
次の時代日本は独立したプレーヤーになり、世界のグレート・ゲームを動かしていくのです。
私たちは幕末からつながる時代を歩み続けています。

-----おわり-----

■感想

新事実として、ドイツプロイセンが日本の蝦夷を狙っていたというのは面白かったです。
絵に描いた餅であるとはいえ、欧米列強が日本を虎視眈々と狙っていたのは確かでしょうね。
植民地化はさすがに無理だと分かって、武器商人に儲けさせたと言えるかも。
軍産複合体というものが芽生えだしたと言えるでしょう。
当時、イギリス大英帝国には逆らえないほどの国力があったので、ドイツも引っ込まざるを得なかった。
日本はイギリスと縁を切ったために敗退する羽目に陥ったということでしょう。

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