【感想】NHK 歴史探偵「独眼竜政宗 伊達(だて)男の真相を追え!」を視聴しました
昨日2021年7月7日(水)22:30~23:15、NHKの歴史番組「歴史探偵」14回『独眼竜政宗 伊達(だて)男の真相を追え!』を視聴しました。
この番組は、今まで放送していた「歴史秘話ヒストリア」の後番組です。
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「梵天丸もかくありたい」
伊達政宗といえば大河ドラマ独眼竜政宗のこのセリフを覚えているということは、かなり印象深かったんでしょう。
1987年の大河ドラマということは社会人になった年ですか。
34年前かあ、懐かしいなあ。
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■カッコいい武将って本当?
独眼竜正宗といえば誰を思い浮かべますか?
「渡辺謙さんですね」(佐藤二朗)
美術倉庫から見つけてきた、渡辺謙さんが着用していた本物の眼帯です。
■仙台にやって来ました
仙台市博物館にやってきました。
正宗公の甲冑が展示してありました。
・黒漆五枚胴具足
・山形文様陣羽織
時代の先端を言ってる感じがします。
重大な事実を発見したようです。
政宗の肖像画です。
本当に政宗の肖像画でしょうか?
眼帯がありません。
■強力な助っ人に会いに行きました。
伊達家当主の伊達泰宗さんです。
瑞鳳殿にやってきました。
政宗のお墓がこのお霊屋の下に眠っています。
片目というのは親不孝であるので死後、両眼を備えよ、という遺言に沿っているのです。
大河ドラマの資料に眼帯姿は残っておりません、眼帯はドラマの演出なのです。
眼帯姿は映画やドラマから広まったフィクションだったのです。
瑞鳳殿資料館にもう一つの手がかりがありました。
政宗の頭蓋骨を復元したものです。
ここから政宗の姿を探ることができるかもしれません。
■国立科学博物館の骨のスペシャリスト坂上さん
頭蓋骨模型の石膏型から調査してもらうことにしました。
政宗の特徴① 目が切れ長です。
政宗の特徴② がっしりとしたアゴ
眼窩の右と左で高さが違います。
・左38.5mm
・右36.5mm
2mmの差があります。
右目は幼少期のままで発達しないで、左目はしっかり動かしていた。
■令和の政宗像復元プロジェクト
復顔のスペシャリストに政宗の顔を復元してもらいます。
1974年の発掘調査よりも、技術が発達し、精巧に復元できるようになりました。
「骨に聞く」
どんな顔になるのでしょうか?
■スタジオで
40代後半の政宗を復顔したものが登場です。
精悍な印象です。
眼窩の高さが違っていました。
右目はほとんど動かしていなかったので、幼少に失明した可能性が高い。
「カッコよさは内面から生まれますよね」(佐藤)
政宗は、世界規模の壮大な野望をもっていたのです。
■石巻市サン・ファン館
見えてきたのはサン・ファン・バウティスタ号です。
全長55mの巨大帆船
このような巨大な帆船を作ったのは全国の大名でも政宗だけです。
支倉常長とサン・ファン・バウティスタ号 Wikipediaより引用
この船でメキシコへヨーロッパに渡り、フェリペ3世やローマ教皇パウロ5世に謁見しました。
交易以外に、ある別の目的があったと囁かれています。
徳川幕府転覆計画です。
スペインに情報があるそうです。
リモートでスペインと繋がります。
セビリアのインディアス総合文書館です。
コロンブスの手紙など貴重な文書が納められています。
慶長遣欧使節のスペイン諮問機関にあてた手紙があります。
ルイス・ソテロ、スペイン人宣教師が書いた手紙です。
“奥州の王である伊達政宗は、30万人のキリスト教徒を集結させ、徳川幕府を攻撃する。そのためのスペイン政府の支援をお願いしたい”
太陽の沈まぬ国と呼ばれていた強国スペインに、軍事同盟を願い出たのです。
「伊達幕府ができていたかもしれないということですか」(佐藤)
■河合敦先生
可能性はゼロではない。
ルイス・ソテロが個人的な願望を書いたという説があるのです。
江戸幕府はキリスト教を禁止していて、それを事前に知っていたスペインは交易を中止していたのです。
「幕府転覆計画の可能性は限りなくゼロに近いらしいです」(佐藤)
■更に新たな発見
宮城県岩沼市の3人の専門家です。
検土杖という地層を調査する道具です。
政宗カッコよさの秘密と一体どんな関係があるのでしょう。
深さ1メートルの地層に検土杖を入れていきます。
この場所で何があったかわかるそうです。
現代に近い浅い層には、砂の層があります。
海と関係しているのです。
10年前の東日本大震災です。
更に深い部分に、砂がありました。
東日本大震災と同様の砂の層です。
1611年に、大きな津波が襲っていたことが確認できます。
様々な地域の史料が読み直され、信憑性がないと思われていたのが、学際的な研究で明らかになってきました。
津波の被害に政宗は立ち上がります。
津波で塩害が発生し、しばらく作物を育てることができません。
そこで始めたのが塩の生産です。
逆転の発想でした。
大規模な新田開発にも取り組みました。
使節派遣も津波からの復興策の一つです。
1611年に地震があり、慶長遣欧使節が1613年と2年後でした。
被災した人に夢と希望を与えたのではないでしょうか。
前進することが政宗の願いとしてこの土地の人々の礎となっていたのです。
復旧ではなく復興、更に良くする。
逆転の発想もすごいですね。
次回は「戦争とエンタメ」
■感想
政宗の眼帯は現代の演出だというのは知っていたので、前半は復習って感じでした。
中盤の徳川幕府転覆計画もちょっと無いなあ、というのは感づいていました。
この頃の一神教であるキリスト教って、新たな信者を獲得するために日本を支配しようとする思想を持っていたということは間違いないでしょうね。
それを阻止したのが徳川家康です。
今の日本があるのはひとえに家康のおかげなのかもしれません。
いろいろな意味で、鎖国政策とか保護主義とかは必要なときがくるのかなあと思っています。
日本人のアイデンティティが無くなるのは嫌ですから。
後半の津波被害は確かに可能性はあるかなあ、という感じですかね。
東日本大震災が起きたことで、今までの常識がひっくり返った。
現在が過去を塗り替えたということです。