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【感想】NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 「1942 大日本帝国の分岐点(後編)」を視聴しました
2022年8月14日(日)21時 新・ドキュメント太平洋戦争 「1942 大日本帝国の分岐点(後編)」を視聴しました
<NHKのあらすじ>
戦時下に個人が記した日記や手記などの「エゴドキュメント」をもとに、日本の繰り広げた戦争を個人の視点から1年ごとに追体験するシリーズ。
1942年は「大日本帝国の分岐点」をみつめる。開戦以来勝利を重ねてきた日本。
6月のミッドウェー海戦で敗北。戦況が悪化する中、東南アジアの占領地でも日本の支配が揺らいでいく。
そして、ガダルカナルの戦い。
最新の技術を使い、兵士たちの言葉から、「戦場の現実」を伝える。
■フィリピン派遣
1942年6月、もの不足は市民に悩みのタネ、生活に関する言葉が多く登場する。
「切符性」衣類の購入が切符制となり深刻となっていた。
マニラを陥落させると、シンガポール、ジャワ、ビルマを統治下においた。
インドネシアの石油、マレー半島のゴムを確保できた。
日本は、アジアを解放する大東亜共栄圏の実現に向けて邁進していった。
■アジアの人
オランダによる植民地支配からの解放から、ジャワの人々は日本を歓迎していた。
陸軍中将・今村均は、スカルノを開放するという思い切った手に出た。
日本化を推し進め、宮城遥拝、最敬礼。宗教の違う現地の人に天皇は神だと教えた。
アメリカの植民地だったフィリピンは日本への批判を示していた。
こうした状況に対し、日本軍はプロパガンダ映画を製作する。
アメリカ人はフィリピン人の魂を奪ってしまった、
映画の製作に携わった陸軍中尉・人見潤介
日本を中心に東亜の各民族が決起し、白人共の桎梏を脱して大東亜共栄圏を確立すべき。
5月マニラフィリピン全土を占領したことを記念しパレードを行った。
「バターン死の行進」収容所までの道のりを徒歩で移動し多数の死者が出た。
ジュネーブ条約を批准していなかった日本。
■ガダルカナル島
5500km離れたガダルカナル島、日本軍は飛行場を建設、アメリカ軍はそれを攻撃した。
7月29日ムカデ高地の戦いの詳細は残されていない。
80年前の戦争を可視化した。
9月と10月二回にわたり総攻撃をかけた。
アメリカ軍はマシンガンで応戦した。
銃剣と機関銃では戦いにならず、ジャングルに退却した。
■マレー戦記
この頃、半年前以上前の戦争を描いた映画がヒットしていた。
ガダルカナル島は食料の補給さえままならなくなった。
陸軍と海軍の幹部は互いに責任を押し付け合い、撤退できなかった。
ガダルカナル島は「餓島」と呼ばれた。
■フィリピン
連合軍のソロモン諸島防衛が確実な情勢です。成功を確信しています。
短波ラジオ(ボイス・オブ・アメリカ)を視聴、アメリカ優勢になったことをつかんでいた。
フィリピン人のゲリラ組織が活動、ゲリラと日本軍の戦いが激化していった。
日本軍は疑心暗鬼に陥り激しい討伐に乗り出した。
ゲリラ部隊は骨と皮になっても戦い抜く。
■ガダルカナル島
日本は1942年12月31日大本営はガダルカナル島からの撤退を決定した。
6000人が戦死、15000人が病気、飢餓で死亡した。
1943年2月、大本営は、ガダルカナル島で目的を達成し転進したと報じた。
一方、膨大な戦死者が出たことも伝えられていた。
現実から目を背けた大日本帝国、立ち止まることはできなかった。
破滅への道を進んでいく。
-----おわり-----
■感想
エゴドキュメントとかいう民間人の日記にはあまり興味が無いので、無視するとほとんど書くことが無いのに気が付きました。
時間の無駄だったけど、せっかく書き記したので公開することにします。
しかし、AIで分析とかいっているけど、ただの統計、テキストマイニングみたいだし。。。
生活の言葉が増えたと言っているけど、そんなの日記だから当たり前だし。。。
相変わらず、日本軍がいかにダメダメでアジア諸国に迷惑をかけたひどい奴ら、史観だし。。。
そんなことより、なぜ遠方5500kmのはるか遠い南方でアメリカ軍と戦い消耗しなければならなかったの?
アメリカとの戦いを避けられなかったのはなぜ?
アメリカとの戦いは避け、北進していたら勝てたのに。
本当に敗戦国は日本で、戦勝国はアメリカなの?
戦後はびこったのは、ソ連、中国、東欧共産主義国なんじゃないの?
大東亜共栄圏にこだわるのなら、なぜ大東亜戦争って呼ばないの?
太平洋戦争は戦勝国アメリカの呼び方であって、歴史学的にもおかしいらしいし。
いつまでも敗戦利得者の番組作りであっては行けないと感じましたとさ。