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NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」」を視聴しました

2021年12月4日(土)21時はNHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」」を視聴しました

太平洋戦争から80年。
歴史の大きなうねりを「個の視点」から「複眼的」に捉え直すシリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」。
エゴ・ドキュメントと呼ばれる当時の日記や手記から、戦争の新たな断面に迫る。
第1回は「1941・開戦」。
前編では、アメリカ文化に親しみをもっていた市民や、戦力差も踏まえ日米開戦を避けようとしていた
国のリーダーたちが、なぜ戦争へと向かっていったのか、その心の変化を見つめていく。

ーーーはじまる前にーーー
歴史として真相が少しずつ明らかになってきた大東亜戦争(太平洋戦争)。
どのように放送するのかチェック!!

■プロローグ
もしSNSで、80年前にSNSがあったのなら?
エゴドキュメントをAIが解析します。
310万人もの命が奪われた太平洋戦争、なぜリーダーは誤判断したのか?
なぜ大国との戦争に熱狂したのか?
個人の日記から解析します。

■昭和15年2月
東京四谷に住む金原まさ子さん29歳は、育児日記を書き始めます。
精米店を営む井上重太郎さんの日記には、「ピアノという贅沢な宝物を買う」とあります。
なぜアメリカとの戦争に歓喜するに至ったのか?
600箇所を探し日記250人以上、エゴドキュメントです。
AIに読み込ませ、SNSのつぶやきに見立てて心の変化を読み解きます。
630万の単語を男女ごとに分け、頻出語をビジュアル化し分析します。
1940年前半、「生活」という単語が最も頻繁に登場します。
1940年前半、多彩なメニューを楽しんでいたのが、1940年後半、配給、代用品など不自由さを示す単語がが頻繁に登場するようになります。
生活の変化の背後には日中戦争があり、戦時体制が強化され、食料統制されたのでした。

■いつからアメリカを戦争の相手国とみなしたのか?
・女学生笠原徳さんの日記
アメリカへの夢、アカデミー賞のスタア誕生に憧れをつのらせていました。
ハワイアンやジャズなどアメリカ文化が流行、親近感が高まります。
ドイツの存在感が増します。
数世紀も進んだヨーロッパで、第二次世界大戦が勃発、ドイツが破竹の進撃を続けていました。
日独伊三国軍事同盟生まれる。
17歳の心を捉えた同盟、日中戦争の解決、ドイツと組んで牽制するのが狙いでした。
デパートにたなびく鉤十字の旗。
危機感を抱く人物、山本五十六はこう訴えた。

日米戦争を回避するようご努力願いたい

山本五十六

市民の日記から「戦争」を連想する単語を抽出、時系列に変化を辿っていきます。
戦争への危機感がどうのように変化したのか?
1941年11月、日米開戦が最も戦争への関心が高く、三国同盟を結んだ時期が戦争への危機が薄らんだと言うことがわかります。
・玉井清教授
言論統制が原因だと考えました。
陸軍大臣・東条英機のエゴドキュメントが残されていました。

”英米に対して三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いたずらに排英米運動を行うことを禁止する”

東条英機

この時点ではアメリカとの対立を避けようとしていました。
アメリカと対立する余裕はなかったのです。
日本とアメリカの青年による卓球大会、プロパガンダであった。
日本のご都合主義はアメリカには通用しませんでした。
アメリカの世論が反発、資源の禁輸が決まった。

官庁の門を見ると、鉄製だったのを木製に取り替えている。これは米国に鉄の輸出を断られたためである。

1941年1月の永井荷風

戦争に関するキーワードが増加していきます。
アメリカに対する過激な論争が目立ってきます。
・徳富蘇峰
米国との戦争を煽ります。
「日米戦わば」
・池崎忠孝
インフルエンサー的存在が影響を与えました。

1941年4月、日本は日米外交交渉に乗り出していた。
極秘戦力比較のシミュレーションがありました。

日米戦争はやるべきでないとの判断に達したことを断言できる。

石井秋穂中佐

東条英機陸軍大臣は、日米戦争は回避すべきと判断しました。
独ソ戦で日本の運命が左右されました。

ここで決定的判断ミスを犯します。
南部仏印(ベトナム南部)に進駐したのでした。
ソビエト連邦の驚異がなくなり、東南アジアの資源地帯を抑えようとしたのです。
ルーズベルト(FDR)は、日本への石油輸出を止めました。
日本政府は想定外でした。

海軍も態度を大きく変え、「ジリ貧になるからこの際決心せよ」「今後ますます兵力が広まってしまうので今戦うのが有利である」

永野修身

強迫観念が戦争へと駆り立てようとしていました。
海軍大将・澤本頼雄は日米外交交渉で解決するべきと主張しました。

■1941年年7月、物資不足のキーワードが増加
昆虫食を政府は奨励、蚕を絞った食用油。
不満をどこにぶつけていたのか?
国の価格統制で価格が下落、経営が成り立たなくなった。
国に協力することば、「隣組」という言葉が増えてきました。
「お国のため」という戦争への覚悟が現れ始めます。
・玉井清さん
自分たちを苦しめている敵国英米が苦しめているのでお国のためという言葉が素直に出てきたのです。

悪がはびこっている。悼むべし、悲しむべし

森下二郎

日中戦争の膨大な犠牲は地方で覆い隠せなくなっていました。
■岐阜で
「共同植え付け作業第4日目で大分疲れてきている」
「本日またも五名の○○あり」
○○は召集と思われる。軍から咎められる恐れがあったので隠語を使う。
日中戦争で戦死者18万人以上に上っていました。

■1941年10月
ルーズベルト、中国からの即時撤兵を日本政府に要求します。
陸軍首脳は撤兵はその犠牲を無にするものと受け止めていました。

支那事変にて数万の命を失い、撤兵するのはなんとも忍びない。決めかねている

東条英機

東条英機は、近衛文麿首相に伝えました。
1941年10月18日総理大臣になったのは東条英機。
昭和天皇は日米交渉の継続を望んでいました。
側近に打ち明けた言葉、「虎穴に入らずんば虎子を得ずということだね」
「今は死中に活を求めるよりほかはないのである」
12月8日、真珠湾攻撃はじまる

-----おわり-----

次回は「新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(後編)」」

■感想
うーん、完璧な内容でした。
もちろん、悪い意味で。。。
まずはじめに、一般庶民の日記からAIが分析した、ということですが、一般人はマスコミや噂からの情報しかありませんから。
つまり、SNSといいますが、情報統制された時代、庶民の声はマスコミの言いたいことや噂話の分析結果ということです。
さすがマスコミを代表するだけのことはあります。
マスコミが扇動したことを庶民の声として隠すところが小賢しい。
これらの日記を書いた人を少し調べると、何らかの著作があるプロ作家や宗教家でしたので、政治的発言もそれなりに練られたものでしょうね。
つまり、番組の趣旨に則り、選ばれて登場しているということ。
そして、近衛文麿やルーズベルト(FDR)の写真は出ますが、主役は東条英機そして英雄山本五十六(笑)
極東軍事裁判史観ですね。
近衛文麿やルーズベルト(FDRの方)に戦争責任があることはかなり解明されてきています。
まあ、絶対やんないでしょうねー。
日曜は後編を放送するらしいけど、想像できるので書くの止めとこうかなあ。


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