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【感想】NHK 歴史探偵「武田信玄 最強の秘密」を視聴しました
2023年4月26日(水)22:00~22:44、歴史探偵「武田信玄 最強の秘密」を視聴しました。
<始まる前に>
武田氏は鎌倉殿の13人でも出てきた名門の武将ですね。
成り上がりの三英傑とは違います。
武田氏を乗っ取ったかどうかはわかりませんけど。
<NHKのあらすじ>
武田信玄は「戦国最強」と称される。
なにゆえ信玄は強かったのか。
歴史探偵がゆかりの現地調査、AIシミュレーション、現代の軍事理論を駆使してその真因を調査する!
■武田信玄 最強の秘密
■スタジオで
武田信玄、どんなイメージありますか?
佐藤所長「とにかく強い!、戦国最強というイメージ」
72戦して49勝3敗20分、勝率9割4分
キーワードは、富国強兵です。
■富国
長野県伊那市高遠町の桂泉院
・笹本正治さん(長野県立歴史館)
信玄の父・武田信虎のお墓です。
なぜ遠く離れたこの地にあるのでしょうか?
実は信虎は信玄(晴信)に追放されたのです。
■山梨県甲府市
信虎が追放されたのは甲斐国を立て直すためだったのです。
・平山優さん(歴史家)
隔年で飢饉、災害、凶作が起こり、物価も3倍の高値になっていたことがわかっています。
民衆の不満が国を治める信虎に向かいました。
家督を継いだばかりの信玄に大きな課題がのしかかりました。
・根元祐樹さん(東京都立大学)
最大の原因は洪水だったと考えています。
甲府盆地を西から東に流れる御勅使川では、泥の海と化していました。
信玄はこの難題にどう挑んだのか。
・鈴木猛康さん
石積出です。
川のすぐ近くに石を積み堤防を築きました。信玄堤の一種です。
目的は洪水だけではなかったといいます。
コンピュータシミュレーションで分析します。
石積みがあることで川の流れを変えたのです。
しかし、なぜ川の流れを北に変えたのでしょうか。
御勅使川の下流へ
高い岩山にぶつかり、川が蛇行しています。
大きな岩山に川の流れをぶつけるためだったのです。
そうすることで、流れが緩やかになり、大規模な洪水が起きにくくなります。
その結果、安定的な作物ができ、生活が豊かになっていったのです。
■スタジオで
佐藤所長「信玄すごいね!」
他に豊かにする政策をやっています。
お寺の引っ越し
河合先生「善光寺を甲斐に移していて、人気スポットで街全体が栄えるということです」
「その他、木工品、漆を織田信長に1000おけが贈られました」
■強兵:信玄最大の試練
領地の拡大に動きます。
向かったのは信濃、小さな領主が乱立する地域でした。
しかし、若き信玄の前に最大の試練が襲いかかります。
上田市へ
・樋口隆晴さん(軍事研究家)
信玄が初めて負けた場所です。
相手の村上義清は、長野県北部を治めた戦国武将です。
武田軍8000に対し、村上軍5000、武田が勝ちそうですが、負けてしまいます。
なぜ敗れたのでしょうか?
『磯部文書』あれこれあってすべてが思うままにならず迷惑しています。
実は家臣たちの力が強く、勝手な動きをし、命令に従わなかったためです。
『甲陽軍鑑』板垣信方は、勝手に敵陣深く攻め込み、その場で首実検を始めたのです。
油断した板垣は討ち死、これをきっかけに武田軍総崩れになりました。
なぜ家臣たちは信玄の命に従わなかったのでしょうか。
背景に信虎追放劇があり、古くから仕える家臣たちだけだったため、遠慮したのです。
家臣たちをまとめる統率力が欠けていました。
■人工知能で分析
日本大学へ
総大将の統率力が戦いに与える影響度を調べます。
FAiBS C2でシミュレーション開始
赤:統率力あり、青:統率力なしに設定し、戦闘させます。
「使番」といって情報収集や連絡番を役目とする連絡将校です。
使番の動きが赤と青で大きく違いました。
赤は総大将の指示が的確に伝わっていることがわかります。
その結果、赤が攻撃命令を出すことができ、赤は攻撃命令も出せません。
指揮統制の有無によって差が出ました。
■スタジオで
佐藤所長「カリスマというイメージとは違いました」
河合先生「ここから変わっていきます」
クイズ、信玄は何をしたのでしょうか?
佐藤所長「お風呂?」
答えは、家臣のために湯治場を造りました。
河合先生「家臣が間違いを犯しても、反省していれば呼び返し温情をかけました」
強さの秘密、現代に通じる軍事理論がありました。
■アメリカ軍のミッション・コマンド
強さの秘訣と言われているのが、Mission Commandミッション・コマンドです。
・樋口隆晴さん
やり方は現場に任せ、軍隊の動く速度がすごく速くなります。
信玄の軍隊はミッション・コマンドができていたのではないかと考えます。
『甲陽軍鑑』信玄公の戦い方は巧妙になった
武田VS北条の三増峠の戦い
山県昌景には後方の敵を抑えろと指示、次第に劣勢になり追い込まれてしまいます。
後方の敵と戦っているはずの山県が戻ってきたのです。
必要な兵を残し、奇襲攻撃を仕掛け、状況は一変、見事勝利します。
信玄の大方針を守りながら、各武将が現場の判断で行動、ミッション・コマンドで勝利しました。
■ミッション・コマンドの有効性をAIで検証します。
赤はトップダウン、青は中間に置かれた武将が指示を出します。
青の使番に、武将と前線だけを行き来するものがいます。
中間の武将が現場判断で指示を出すことを示しています。
これがミッション・コマンドの狙いです。
最短の時間で意思決定ができるのが重要です。
青の勝利です。
甲府市武田氏館跡歴史館「武田二十四将図」
山県昌景や馬場信春など有力な武将が描かれています。
信玄自らの目で選んだ新しい家臣に入れ替わっていました。
■三方ヶ原の戦い
ミッション・コマンドが最大限生かされたのが三方ヶ原の戦いです。
徳川軍1万鶴翼の陣、武田軍2万5千魚鱗の陣で向かい打ちます。
信玄の狙い、指揮・統制がし易い形でした。
信玄は、明らかに、中央をめがけて、家康の首を取りに行っています。
山県昌景が徳川軍に囲まれ、窮地に陥りますが、信玄は家臣を信じあえて動かなかったのです・
武田軍の第二陣が山県昌景の救援に向かい、体制を整え、家康軍に猛攻撃を仕掛けました。
城に逃げ帰る家康を最期まで追い回しました。
家臣との絆の上になりたっていたのです。
■スタジオで
佐藤所長「信頼関係でものすごく変わってくる」
河合先生「人は城、人は石垣、人は堀という言葉が残っているくらい、人間関係を大事にしました」
ーーーおわりーーー
次回は「長谷川等伯 幻の障壁画」5月10日(水)放送です。
■感想
なかなかおもしろい見立てでした。
信玄の強さの秘密がわかりました。
だけど、その背景にあるのが、金山開発だと言われています。
甲斐には黒川金山、中山金山、芳山小沢金山などがあります。
金山開発は信玄の父親の信虎時代から行われ、信玄の時代に最盛期を迎え、元亀三年(1572年)頃に、さかんに採掘されていたものとみられます。
鉱山技術が、土木技術の進化にも影響を及ぼし、信玄堤で有名な築堤技術も両者の技術が発展した結果でもありました。
番組でもあった「富国強兵」政策の重要なものが金山開発だったのでしょう。
甲斐という弱小な地域を最強の武田軍に変化させたのも、信玄の金山開発があったということです。
家臣にあたるともいわれる「金山衆」という金鉱の経営者が鉱夫を統率しており、信玄のミッション・コマンドに似ています。