【実況と感想】渋沢栄一 NHK大河『青天を衝け』40回「栄一、海を越えて」
2021年12月19日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『青天を衝け』40回「栄一、海を越えて」を視聴しました。
始まる前に
「晴天を衝け」今回は15分拡大スペシャル版です。
次回は最終回、終わると思うと寂しくなります。
2ヶ月短縮だったので終わるのも早く感じます。
■プロローグ
日本はますます帝国主義に傾いていきます。
栄一は第一線を退くことになり、第一銀行と銀行集会所以外の役職を退任します。
60以上の職を退任しました。
・大磯伊藤邸
栄一「韓国はどうでしたか?」
伊藤「えろうもめちょる。ハルビンに行かねばならぬ」
栄一「自らの保身のために他国を犠牲にしてもいいと」
伊藤「怖かったのだ、臆病心が出ていたのだ」
栄一はアメリカに行くことにしました。
10万人以上の日本人が排斥されているのです。
「日本人は人としても仲良くしようと心を込めて告げて回れば理解につながるはず」
「民間外交か!わしと違って一向に戦の匂いがせん」
・明治42年(1909年)
アメリカ大陸横断の始まりです。
---曲---
■シアトル
91日間をかけて60の都市を訪問、70回に迫る講演を行う超過密スケジュールでした。
アメリカ接待委員・ロジャー・グリーン
兼子のめい・高梨孝子も同行しました。
「これからは石油か!」
一行は、工場、発電所、農場、大学、福祉施設を訪ねました。
ペリー提督の墓、グラント将軍の霊廟なども。
排日が盛んなのは日本人移民が多い西海岸だそうです。
■タフト大統領と
移民に対する差別問題で日本に友好的だったタフト大統領と会談することは旅の目的の一つでした。
タフトは語ります。
「一つ不満があります。なぜこのような上品でチャーミングな女性を閉じ込めている」
「カリフォルニア移民問題も過去のものになるでしょう」
「これからは平和の戦争、商売の戦いを」
「日本バンザイ!」
■列車が急停止
伊藤公爵がハルビンで暗殺された、と急報が入ります。
ニューヨークトリビューン紙の記者達が伊藤暗殺のことを質問してきました。
栄一もショックな様子です。
「今の日本はとんでもない流行り病にかかっちまったんじゃないですか、伊藤さん」
まもなくカリフォルニアに入ります。
商工会議所のスピーチは中止されてはいかがでしょうか、とグリーンに提案されます。
身の安全を優先すべきです。
■サンフランシスコ
スピーチする栄一がいます。
原稿を読むのをやめる栄一、自分の言葉で語り始めます。
「私は先日、長年の友を殺されたのです。実に多くの大事な友を亡くしました。
(長七郎、弥太郎、五代の顔が浮かびます)
「相手の気持を知ろうとすれば無益な憎しみ合いや悲劇は免れるのだ。
日本人を排除しようとする西海岸もしかりです。
しかし私は今こうして直にアメリカの地を踏み、発展を目にし大いに学ばせていただいた。
アメリカ人の愛情を我が国に降り注いでくださっていることを確信しています。
日本人我々はあなたがたの友だ。
役に立ちたいと思ってやって来たのだ、どうか憎まないでいただきたい。
大統領はピースフルウォーとおっしゃった。あえて申し上げる、ノーウォーだ」
スタンディング・オベーションで賛同された栄一でした。
■日本人移民が栄一に会いに
長州出身の日本人移民家族がやって来ました。
10年前にここに来て、この子はここで生まれました、栄一に花を渡す移民の子。
3か月に及ぶ旅が終わりました
■明治43年(1910年)
虫を見る栄一の孫・敬三が喜作と話します。
一か月後
篤ニは家を出て芸姑・玉蝶と家を持ったそうです。
篤二は玉蝶という芸姑と新聞沙汰になります。
玉蝶と一緒の篤二の家に歌子は押しかけ、どうして過ちを繰り返すの!家のことを大事にしてくださらないの、と泣いて訴えます。
■重大な決断
遺言書を読み上げる栄一
「篤二を廃嫡とし、株券・土地を没収、妻の敦子に与える」
喜作と話す敬三は、生物学者になりたいが家を出ていくことになりそうと。
1912年明治天皇が崩御、時代は大正になりました。
■喜作
栄一「中国に行ってみたい。懸命に励んだところでなせることはわずかだ、諦めるわけにはいかない」
喜作「すこしは諦めることも覚えろ」
農民たちの踊りに加わる栄一と喜作、子供の頃の記憶が蘇ります。
大正元年、喜作は74歳で生涯を終えました。
■慶喜自伝完成
徳川慶喜公伝が完成しました。
正しく御前様のことを、幕末の世の真相を知らしめることができます。
慶喜「ようやく今思う、生きていて良かった、話をできてよかった、楽しかったなあ。
しかし困った、権現様のご寿命を越えてしまった」
「感謝しておる」
栄一は、昔の慶喜との初対面の記憶が蘇ります。
「快なりじゃ」
徳川慶喜は77歳の天寿を全うしました。
歴代将軍一の長寿でした。
■孫文
栄一に国民党理事長・孫文が会いに来ました。
北方には袁世凱や西洋列強が待ち構えていて、中国経済の指針となるお話を伺い資金を融通していただきたいと話します。
栄一「経済人になっていただきたい。それならば喜んでお力になります」
しかし、孫文は中国の内紛に巻き込まれていきます。
手紙には、”許してください”孫文、と書かれていました。
■世界情勢は更に悪化
ドイツがイギリスと対立、日英同盟により大隈首相は最期通牒を発する事になりました。
加藤高明に対し栄一は糾弾します。
「戦争のたびに経済が打撃を受けてきた。
度重なる増税と物価高に悩まされ、反論すれば政府が力でねじ伏せようとする」
「政府に文句があるのか!お帰りいただけ」加藤は憤慨します。
そんな栄一に大隈は反論します。
「大陸や南洋諸島に手を出せば疑われる。日本を守るためにも国土を広げねばならんのじゃ」
栄一「もっと自信をもってくださいよ。80の年寄りにもなってなんで首相なんかやっているのですか」
「井上も病気だ、維新の尻拭いをしているのであーる」
日本は日英同盟に基づきドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参加することになりました
■井上馨
病気で亡くなりました。享年80歳でした。
■敬三
動物学を学びたい敬三は二高を受験することになりました。
そこへ紋付羽織袴姿の栄一が現れます。
「どうか法科にすすんではもらえないだろうか」
「実業界で働いてもらいたい、私の跡を継いで、どうか言うことを聞いてくれ」
敬三に紋付羽織袴姿で頭を下げる栄一です。
「決して命令ではない、実業界から日本を支えることを使命としてほしい、どうか頼む」
■世界大戦
日本は山東半島やドイツの植民地を占領して勢力を拡大、シベリアにも出兵します。
栄一「アメリカや中国は、日本は侵略主義で軍国主義だといいはる」
■徳川家康
さて慶喜よ、よくぞ生き抜いてくれた。
徳川の世が閉じて以来、励み続けてくれた人たちも次々と亡くなりました。
栄一はまだまだ止まりませんよ、最後まで私とともに見守っていただきたい。
----つづく----
次回は第41回「青春はつづく」最終回です。
■大河ドラマ紀行
慶喜は穏やかな時間を過ごしました。
東京都文京区の慶喜邸
慶喜の屋敷は800坪の広大なものでした。
大銀杏が当時の面影を忍ばせています。
大正2年、慶喜はこの地で生涯を終えました
6000人を越える多くの人達が集まりました。
東京都台東区の慶喜公墓所
■感想
喜作に比べるとかなり若い印象で描かれる渋沢栄一ですね。
喜作とは2歳しか違わず、栄一も大正元年には70歳を越えているのでもう少し老けていたのでは?と感じました。
そして、明治維新から、日清・日露・第一次世界大戦を描くとどうしても現代目線で書かれてしまうのは、仕方のないところです。
栄一もこういう考えだったのではないのか、と想像するのは現代人の脚本家ですから、どうしても敗戦国の目線では、戦争は悪いことだ、というイメージになるのは仕様がないでしょう。
当時の人が現代の出来事を見たら、どう思うでしょうね。
渋沢栄一が現代にそのまま蘇ったらどうするでしょう?
生ぬるいと思うか、それとも平和な日本でよかったと思うか。