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【感想】NHK 歴史探偵「信長・秀吉・家康 神への道」を視聴しました
昨日2021年6月30日(水)22:30~23:15、NHKの歴史番組「歴史探偵」13回『信長・秀吉・家康 神への道』を視聴しました。
この番組は、今まで放送していた「歴史秘話ヒストリア」の後番組です。
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奈良で実施された「聖徳太子と法隆寺展」が7月から東京で開催されます。
行きたいんですけど、日時指定の事前予約制なんですよね。
面倒くさがりの人間で、行きたくなったら当日に休みをとって行こうかなあと気ままに考えるものとしては、まさに面倒なんですよね。
事前予約という行為が入ると俄然、志気が下がるんです。
最近はリモートワークが続き、電車を乗り継ぐような気合を入れた外出の機会が無いですし、ウイルス感染も怖いですし、休みが取れるかもわからないし、中止になるかもしれないし、、、と考えていると行く気が段々無くなってきました。
正確に言うと、行く気はあるけど、行かなくてもいいや、という気持ちが勝っている状態といった感じ。
今は、こんな気持ちの人が多いのかなあ。
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■スタジオで
(佐藤所長)「愛知県出身なので、神を生んだ場所ですから、何でも聞いてください」
「家康が祀られているのは?」
→「日光東照宮!」
そんな日光東照宮ですが、家康は一度も訪れたことがなかったのです。
その理由を知れば神になろうとしていた理由がわかるはずです。
■日光東照宮にやって来ました
世界遺産にも登録されている日光東照宮です。
陽明門(国宝)、見ているうちに日が暮れてしまうことから日暮の門と呼ばれています。
「東照大権現」と書かれています。
関東から日本全土を照らす神という意味です。
本殿に神となった家康が祀られています。
家康はなぜ日光を選んだのでしょうか。
夜になれば一番かんたんにわかるのですが。
■夜になりました
モノが見えなくなってくると、見えるものがあるのです。
参道からカメラで北側を写しています。
北極星が見えます。
この北極星がカギとなります。
宇宙の中心を示しているようです。
神の星だったのです。
陽明門と北極星が見事に重なります。
北の空から守ろうとしたものとは何だったのでしょうか?
それは江戸城です。
南北一直線上に会ったのです。
日光から江戸の繁栄を見守る神様だったのです。
「江戸の真北なら、埼玉も候補になるのでは?」(佐藤所長)
『徳川実紀』を紐解いてみます。
■久能山東照宮に来ました。
1159段の階段です。「いちいちご苦労さん」と地元の人は読んでいるそうです。
家康が遺した謎の遺言に迫ります。
「亡骸を久能山に収め、一周忌が過ぎたら日光山に小さな祠を建て勧請せよ」
ドローンで空から確認してみます。
北東に何が見えるのでしょうか。
富士山が見えてきました。
それを延長していったところに日光東照宮があります。
富士山=不死山ということで、1年経って神様になっていただくという思想があったのではないかと言われています。
久能山東照宮・富士山と江戸・日光東照宮を結ぶ2つの線が交差するところが日光東照宮だったのです。
日光東照宮 陽明門 Wikipediaより引用
■スタジオで
追加報告です、天海です。
日光東照宮の建設を進めた人物です。
家康の遺言にも大きく関係していたらしいです。
家光のとき、社殿を建て替えて豪華なものにしたのです。
天海、100歳は超えていたそうです。
■織田信長
ディレクターに調査してもらいました。
■豊橋の金西寺へ
当時、信長のことを「六天魔王」とよんでいたそうです。
1571年、比叡山焼き討ちで多くの僧侶を殺害、魔王と恐れられていたのです。
ルイス・フロイスが信長のことを書き残しています。
「信長は自らが神であると言っていた」
「そして、自分を祀るため、安土の城に摠見寺を建てた」
鳥取県にやって来て、仏教建築のスペシャリストと望みます。
總見寺をグラフィックで復元します。
「盆山」とは、信長の分身のことですが、ただの石でした。
なぜ2階に据えたのか。
三重塔に鍵がありました。
本堂よりも低いところに三重塔を建築しているのです。
盆山を一番高いところに置いて仏教の上に君臨しようとした意図がありました。
神のなることで、仏教勢力よりも上だと示そうとしたのです。
(河合敦先生)
仏教や神道を超越したものとしていたのです。
キリスト教を保護していたのも影響しているかも。
■豊臣秀吉
壮大なプロジェクトがありました。
京都に向かいました。
階段が続く高いところにお墓がありました。
400年以上前なのに、きれいに見えるのは、明治時代に改装されたものだからです。
実は、驚くことに秀吉の遺体が掘り出されていたのです。
遺体は壺の中で腐らないように保存、足を組み、手を組んでいたそうです。
奇妙な埋葬方法は、神になることと関係していました。
死を覚悟した秀吉は、吉田神社の神主吉田兼見に相談します。
吉田兼見 Wikipediaより引用
「わしを神にせい!」
吉田兼見は人を神にできる唯一の人です。
神になる方法は、門外不出の吉田家に伝わるものでした。
伏見城で秀吉が亡くなり、神格化プロジェクトが始まりました。
豊国神社が建てられていました。
更に、神の力に加え、仏の力も結集します。
山から街まで、1.4kmまでが秀吉の聖域でした。
京都駅の東側、30万坪の広さでした。
この背景には、ある宗教の存在がありました。
キリスト教です。
秀吉はバテレン追放令を出すほど警戒していました。
「日本は神国である」
キリスト教の領土的野心から守ろうとしたのです。
そして、日本一のモノを作ろうとしていたのです。
大仏です。
当時、大仏殿が建っていたのです。
高さ19m、奈良の大仏が15mですから、日本一の大仏が京都にあったのです。
新しい宗教勢力に対抗する神と仏を取り入れた領域があったのです。
キリシタン大名もたくさんいたので、秀吉には驚異になっていたのです。
(河合先生)
秀吉の世継ぎであった秀頼は5歳だったのです。
政権がずっと続くか心配だった。
秀頼は神の子として崇められるという期待もあったのではないでしょうか。
秀吉も徳川時代に神から引き釣り降ろされています。
徳川時代が終わり、明治時代になると神として復活しているのです。
--ーおわり--ー
次回は、独眼竜政宗です。
■感想
日光東照宮の話は、それほど驚くようなものではないような気がします。
どこかで聞いたような話です。
信長の話も驚くようなものではないし。
秀吉の話は、面白かったですね。
吉田神道が絡んでいたのですね。
信長は置いといて、秀吉と家康は仏教ではなく神道を重視していたということですね。
そういう意味では、3人ともに、仏教を嫌っていたということですか。
加賀とか三河の一向一揆とか延暦寺の僧兵とか、相当苦しめられたのがトラウマになったんでしょう。
神になったというよりかは、仏だけは絶対嫌だよ!というのは有り得そうです。