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輪友(りんとも)

新幹線博多行に飛び乗ったが、なんでこんなに感傷的になるのか?月一回ペースで東京に出て来られているが、なぜか最近は東京に強い郷愁が渦巻き、実家の岡山の山野が希薄になってしまっている。いつもの神保町でなく今日は三田線で巣鴨を突っ切り高島平駅で下車。方違えのようにそのまま巣鴨駅に戻り山手線で東京駅ヘ。駒込、西日暮里、鶯谷など数十年前の東京生活の亡霊がまとわりついてくる。死に別れ生き別れた面影ばかりが妙に騒ぐのだ。歳のせいだし、私の人生そのものの切替が迫っているのかもしれない。三田線の中で混み合う人々の中にいるとき、一億人の日本人の遺伝子が正体不明の遺伝子に書き換えられ二千万人がそのままだとすると、この車両の中では10人だけかなどと。私自身の運命も風前の灯、東京も日本も風前の灯なのだろう。私の魂を形成する懐かしい人々はすべて枯れ葉のようになってしまっていることを強く感じる。東京は巨大な落葉集積場だ。小さな子供達やどこか幼い若者たちを微笑ましく見やっている私には私達にはもう物語は訪れないのだろうか?輪廻の中でまた懐かしい再会はもう残されていないのだろうか? たとえ若者であろうと子供であろうと、早く生まれてきたり遅く生まれてきたり、今の年齢は関係なく輪友りんともなのかもしれないが。


■画像はヤフー枯れ葉画像より。

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