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“騎士団長殺し”読書感想文26. 《永遠の場所に移植されるということ》

“「おっしゃるとおりだ。絵のモデルをつとめるというのは、確かに予想していたよりも厳しい労働です」と免色は言った。「絵に描かれていると思うと、なんだか自分の中身を少しづつ削り取られているような気がしますね」「削り取られたのではなく、その分が別の場所に移植されたのだと考えるのが、芸術の世界における公式的な見解です」と私は言った。「より永続的な場所に移植されたということですか?」「もちろん、それが芸術作品と呼ばれる資格を持つものであればということですが」「たとえばファン・ゴッホの絵の中に生き続ける、あの名もなき郵便配達夫のように?」「そのとおりです」「彼はきっと思いもしなかったでしょうね。百数十年後に、世界中の数多くの人々が美術館までわざわざ足を運び、あるいは美術書を開いて、そこに描かれた自分の姿を真剣な眼差しで見つめることになるだろうなんて」「まず間違いなく、思いもしなかったでしょうね」「みすぼらしい田舎の台所の片隅で、どう見てもあまりまともとは思えない男の手によって描かれた、風変わりな絵にすぎなかったのに」私は肯いた。「なんだか不思議な気がするな」と免色は言った。「それ自体では永続する資格を持たないものが、ある偶然の出会いによって、結果的にはそのような資格を身につけていくということが」「ごく希にしか起こらないことですが」”


家の床の間に、数年前に他界した親友の彫刻家がもう30年も前に、私をモデルに制作した頭部のブロンズ像が見るものもなく置かれている。何も宿ってはいない。親友は高知県の西南端の柏島出身だったので、一度東京からの盆の帰省時にレンタカーで四国を縦断して、彼の故郷に同行したことがある。ダイビングのメッカだったが、夜空の満月が異様に大きかった。翌朝、島の寺に参り、磯を探索して、帰途についた。その時の句が、

●地平線上に満月が笑っていらっしゃる

●数百の位牌居並ぶ夏の寺

●時は来て流木岸に打ち上げて大海の夢南風の記憶

彼は父親の仕事の都合で、全国を転々とする幼少年期を過ごした為、ことのほか強烈な柏島への愛着を持ち続けた。親友は東日本大震災の翌年、突然の癌で他界。一度夢に夏の海岸の波打ち際を背景に出てきた。来ないのか、と言った。ずいぶん明るい場所に行けるんだと思った。たぶん親友は永遠に夏の柏島に接続されて、“永続する資格”を得たのだと思う。柏島という永続する場所に移植されたとすれば、まさにめでたいことだ。



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