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ちちんぷいぷい

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“聖なる量子力学  9つの旅    フレッド・アラン・ウルフ著

科学は暗示する
ネパールの仏教寺院でわたしが感じたものは、何だったのだろうか?それから10年以上たった1982年に、パリ大学のアラン・アスペらのグループによって行われた一つの画期的な実験が、その謎を解くヒントになった。この実験のもとになったのは、アルバート・アインシュタイン、ボリス・ポドルスキー、ネイサン・ローゼンの3人が、生まれたばかりの量子力学がどんなにとんでもないものであるかを示そうとして1935年に考案した思考実験だった。~~
量子力学によれば、二つの粒子が相互作用すると、波動関数が絡み合ってしまい、それ以降は分けて考えることができなくなってしまう。つまり、ひとたび相互作用をした粒子の波動関数は、粒子がその後、空間的にどんなに離れたとしても、一つに絡み合ったままでいるはずだ。
この系について、観測効果の議論を当てはめてみよう。二つの粒子が相互作用をした後、互いに数マイルも離れてしまってから片方の粒子を観測するのだ。この場合、観測の瞬間に波動関数が崩壊するが、もう一方の粒子も、同じ波動関数によって記述されるのだから、同時に影響を受けるはずである。この影響の伝わり方は、まさに瞬時で、光よりも速いはずだ。
こんな薄気味悪い遠隔作用があると予言する量子力学は、どこかおかしいのではないかと指摘するのが、アインシュタインらの目論見だった。この問題は、彼らの頭文字をとって「EPRのパラドックス」と呼ばれたが、当時の技術では実験的に検証する術もなく、長年、放置されてきた。
ところが、アスペらは、その思考実験に少し修正を加えたものを1982年に実現してしまったのだ。その巧妙な実験を詳しく説明することは、ここでは避けたい。大切なのは、量子力学の予言が正しいことが証明されたという本質部分だけであるからだ。かつて量子力学の不合理性を際立たせるために考案された実験が、量子力学の正しさを証明してしまったのだ。
わたしと蠅が互いに隔てられた存在であっても、われわれはつながっている。カトマンズの仏教寺院で、わたしははからずも量子力学の本質的な部分を体験したのだ。これは、偶然ではない。この感じこそは、シャーマン的世界観の本質なのだ。実際、その後のシャーマン的世界の旅で、わたしは繰り返しこの感じを経験することになった(わたしの最初の超越的な経験が蠅との合一だったとは、こうして書いていても、少し情けない気がしてくるのだが……)。~~~
もっとも、世界の根底にあるこの繋がりは、普段は見えない。では、カトマンズの仏教寺院でわたしがそれを実感できたのは、なぜなのだろうか?何か、きっかけがあったのだろうか?
考えられるのは、仏教寺院の祈りの時間を告げるホルンの音と、僧侶たちが祈りを唱和する超えただった。これらの音が、わたしの意識を自分自身の殻から解き放ち、普段はできないものの見方をさせ、思いもよらなかった存在のあり方に気づかせたのではないだろうか?”
■画像はナショナルジオグラフィックより。

◉‿◉瞬間の世界を切り取る、粒子と粒子の接触、絡み合い、波動関数の共有。なんだか深刻な恋愛映画みたいな話でもある。しかしまた、次から次へと無限に素粒子接触、量子絡み合いは全宇宙で繰り広げられているから、仮想上の1量子対1量子モデルは次の瞬時にまた書き換えられ、上書きされている。1量子対1量子絡み合い×無限永久連続の拡大モデルの振る舞いは、どうなのだろうか? 1量子の波動関数には同時に複数量子の波動関数もまた絡み合っている。1量子の波動関数には全量子の波動関数が含まれ、1量子そのものが全宇宙・全量子でもあるという仮想モデルが実験的に検証されたことの意味はまだまだ探究され尽くしてはいない。一則多、多則一。one  for  all,  all  for   one.  さらには、神仏の御霊、御分霊を頂き宿らせる原理。生霊、念の原理。永遠の愛の原理。バタフライ効果。フラクタル理論。量子も私たちもソロ歌手であり、合唱団であり、空間であり、時間ともなる。樽の箍には意味があり、樽の箍を外すことにも意味がある。まれには桁違いの巨大な、異次元宇宙まるまる一つを含む量子もいるかもしれない。人類からブッダが誕生し、イエス・キリストが世界を変えてしまったように。