日帰り異界
自転車の前輪のパンクからそれははじまった。仕方なく駅前の自転車屋にガタゴトしつつ走ったが、自転車屋は廃業していた。ガタゴトしつつ町中探して、オートショップを見つけた。パンク修理を頼んだが、タイヤ交換することになり、しかも12:00だったので修理完了は13:30、しかも4500円。90 分をつぶすために図書館へ歩くと、臨時閉館。気の利いた喫茶店もない。しかたなく駅の待合室で缶コーヒーを飲む。何か徐々に選択肢が追い込まれている感じがしてきた。列車時間を見ているうちに、岡山駅まで行き本でも買うか、でも待ち時間がありすぎる。姫路方面は15分で来るが、姫路駅までは遠すぎる。なら暑い町を歩くかと思案するうちに、一度も降りたことの無いあの駅に降りて、ランドスケーピングするかと気が定まった。姫路方面に乗った。いつもならば絶対に乗らない時間帯、普段着のまま、スマホも持たず、いきなり発生した非日常のなかで、時間のしばりが無くなり、異空間に入ってゆくような充実感が訪れた。乗客の中の漂流者の気持ちが今日は良くわかる。無人駅に降りると、戻りの列車時間まで一時間。ますます異界時間が広がってゆく。猿田彦缶コーヒーを自販機で買い、一生降りることの無かった駅を出て、無縁だったはずの町を歩きだした。鉱山と耐火レンガで栄えた、今は古色蒼然たる気品さえ放つ工場街から、水草豊かな流れに架かる煉瓦のトンネルをくぐり抜けた。その頃には何かの引力を感じていた。午前中にスマホで東京の知人と話したときに、知人は、はからずも言っていた。「偶然などは無くすべては必然です。」その偶然が幾つも重なり、道と時間が狭められてゆき、そこにいた。なにかに招かれて、異なる時空の間に入ってゆく。トンネルを出たときに、唐突に左上方への階段が現れた。八幡社だった。もう迷いもなく枯れ枝が散る階段を登り、神さびた境内に入った。神主は常駐しておらず、そこはかとなく荒れた境内の向こうに小学校の校庭が見え、児童たちが先生と歩いていた。二礼二拍手一礼。摂社のお稲荷様にもお参りした。ようやく奇妙な偶然の連続が止み、日常空間に帰ってきたが、なぜ八幡様だったのかを考えてみた。
考えられるのは、“ちちんぷいぷい”しかなかった。てんもん君は、東京吉祥寺にあったラーメン店、天文館パート2の自動人形だが、縁あって“ちちんぷいぷい”に力を借りている。ときおり、ちちんぷいぷい地鎮武威武威とまじないを唱えて、てんもん君がネット空間に出動するうちに、八幡様をイメージしていたから、八幡様にあいさつに来いと呼ばれたと考えている。
ちちんぷいぷい ちちんぷいぷい
地鎮武威武威 地鎮武威武威
ちちんぷいぷい ちちんぷいぷい
地鎮武威武威 地鎮武威武威
■八幡宇佐宮御託宣集に、571年、神官の前に八幡神が、三歳の童子の姿で竹葉に立ちて顕れたという記録がある。