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“騎士団長殺し”読書感想文7.

“…その二度の結婚生活(言うなれば前期と後期)のあいだには、九ヶ月あまりの歳月が、まるで切り立った地峡に掘られた運河のように、ぽっかりと深く口を開けている。……それは永遠に近い時間だったようにも思えるし、逆に意外にあっという間に過ぎてしまったようにも思える。

私の人生は基本的には、穏やかで整合的でおおむね理屈の通ったものとして機能してきた。ただこの九ヶ月ほどに限っていえば、それはどうにも説明のつかない混乱状態に陥っていたということだ。…そこでの私は、静かな海の真ん中を泳いでいる最中に、出し抜けに正体不明の大渦に巻きこまれた泳ぎ手のようなものだった。”

切り立った地峡に掘られた運河とはまた大胆な比喩と感じる。かなり高い超自然的な俯瞰を、“私は”手に入れている。この九ヶ月の混乱期をくぐり抜けて、何か宇宙的気づきと変容を期待させる。少なくとも“私生活的な”周波数ではない。大きな変容を無意識から引き出す物語として、唐突にイザナミとイザナギの神話を連想した。村上春樹氏が男女を物語化する時に、往々にして原因不明の女性の失踪が始まりを引き起こす。黄泉の国にイザナミを追ったイザナギが、見てはならない生死の原理、或いは玄牝(宇宙的地母神)の無気味な非生物的な姿に恐怖(嘔吐したかも)して逃げ出す。鬼のような黄泉の’よもつしこめ’と八雷神に追われまくる。世界の死者数と誕生数を左右するような宇宙的大ごとになってしまう、という神話。男女のあいだの戦争は宇宙的破滅につながるほどに、恐ろしい事、忌まわしい事なのかもしれない。万物を産霊する女性の宇宙のような構造、エネルギーに、男性、オスは多淫多情の生物的深淵を見てしまい、戦慄する。女性が母性に変容変身する事で男女は再会再開するのかもしれない。“私”を地上に戻った伊邪那岐命のコメントとして読むのもなにか愉快だ。

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