見出し画像

ちちんぷいぷい

てんもん君がちちんぷいぷいしています。地震、火山噴火、争いや病気が来ませんように!

ちちんぷいぷい   ちちんぷいぷい

地鎮武威武威    地鎮武威武威

ちちんぷいぷい   ちちんぷいぷい

地鎮武威武威    地鎮武威武威

“聖なる量子力学  9つの旅    フレッド・アラン・ウルフ著

そんなわたしに最初の変化が訪れたのは、1970年の晩秋に、研究休暇の一環としてインドに滞在したときだった。美しいものと醜悪なもの、富と貧困、生と死など、ありとあらゆる極端なものが渾然一体となって存在しているインド亜大陸は、そこを訪れる人々に、微妙で、しかも強烈な印象を与える土地だ。わたしはここで、文字通りの別世界を経験した。現実の体験というよりは、むしろ夢か魔法のようなものとして記憶に残っている日々は、日常の言葉ではとうてい記述することができない。このとき久しぶりに、人生は、合理的に計算できるものではないのだと感じた。もちろんこれは、物理学者にあるまじき考えだった。
10月には、ヒマラヤの麓に位置する、ネパールのカトマンズを訪れた。太陽が白く輝く寒い日の午後のことだった。わたしは村の中心部にあるホテルの部屋を出て、村の中をあてもなく散歩した。しばらく歩くと家並みは終わり、丘に出た。丘の頂上にはオベリスクが見え、それぞれの面に描かれた「世界の目」が、四方を睨みつけていた。それを目印に、丘を登っていった。
頂上にたどり着いたのは、4時ごろだったと思う。意外なことに、オベリスクの傍らには、小さな仏教寺院があった。まだ十分に明るかったが、日はだいぶ傾いていて、清澄な空気はしんと静まり返っていた。寺院の屋根の上では猿が数匹ふざけ合っていたが、不思議なことに、物音ひとつ聞こえなかった(後に同じところを訪れたときにも猿はいたが、その時は騒々しかった)。
扉が開いていたので、わたしは寺院の玄関ホールまでぶらぶらと入って行った。そこから中を覗き込むと、座布団の列が人待ち顔で並んでいた。部屋の向こう側の壁は、遠くて見えなかった。薄暗い闇に溶け込む座布団の列は、合わせ鏡の像のように、無限に続いて見えた。
突然、フレンチ・ホルンに似た低い金属音が聞こえてきた。それと期を同じくして、どこからともなく大勢の人々が現れて、座布団の上に座り始めた。彼らは皆、きれいに頭を剃りあげていて、オレンジ色の衣をまとっていた。僧侶たちが、夕方の祈りをするために入ってきたのだ。
僧侶たちは、しばらく瞑想してから、いっせいに祈りを唱和しはじめた。祈りの声には、不思議な催眠効果があった。催眠効果とは、あまり適切でないたとえのように思われるかもしれないが、実際、これ以外の表現は、ちょっと思いつかないような効果をわたしに及ぼしたのだ。
扉の陰に隠れながら熱心に聞き入っているうちに、気が遠くなるような感じがしてきた。足元に目をやると、靴に一匹の蠅がとまっていた。それに気づいた瞬間、わたしは蠅と一つになってしまった。もっとも、わたしの視覚は、すべてが合理的に期待する通りのものであることを告げていた。わたしはまだ、靴にとまった蠅を見下ろすことができた。けれども、他のすべての感覚が、何かがこれまでとはまったく違っていると告げていた。わたしと蠅とのあいだには、ごくわずかな隔たりもなかったのに、靴は、何マイルも先にあるような感じがしたのだ。蠅になってしまったというのが、そのときの偽りのない感覚だったのた。
僧侶たちの祈りは、よどみなく続いていた。わたしは、完全な一体感に恍惚となったまま、音の波間を漂い続けた。”
■画像はナショナルジオグラフィックより。

◉‿◉おそらくウルフ氏が、インド・ネパール行きを決めた時点からの、インビジブルな招きいざないがあったのではないか。神仏に縁深い場所や物事に心惹かれる時、その場所を訪れる時、何らかの深層からの呼びかけに応える象徴的なエネルギーが発現することは多い。今日の量子力学の繁栄は、狭い物理科学だけでなく、精神世界や宗教的領域からの働きかけや高次元の関与が深いように感じる。フレンチホルン?のバイブレーションと、瞑想エネルギーの乗った僧侶たちの唱和は、まさに言霊のようにウルフ氏の深層にある宇宙意識に、贈り物を持たせたのだろう。沖縄のユタの巫病のように、霊的エネルギーを照射され体内に宿した場合、人生やその人物の意識は甚大な影響を長期間受けることになる。ユタの場合、思考回路だけでなく、脳内に新たなる霊的回路が開かれるまで、悩み苦しむ。ウルフ氏のように、堅固な脳に伝えられ、あるいは授けられた啓示的エネルギーが、量子力学とシャーマン領域を結ぶ広くて大きな道を拓くように、インド・ネパールのガイアが彼を招き寄せた。私の場合も、400年の歴史ある家系であり、100年ものの実家には仏壇と神棚があり、先祖が崇拝したお稲荷さんがいらっしゃる。見える方には見えるようで、東京で暮らしている時に、電車の向かい側に座った正装のチベット仏教僧侶から、柔らかだが、透徹した凝視を受けたことがある。長い歴史の中で先祖が頼り受け継いできたものを見ておられたのだと思われる。ネパールもまた釈尊生誕の地であり、釈尊の根本仏教が色濃く継承されている場所だ。聖者からの思念ににたものをウルフ氏は授かったようだ。

■画像はナショナルジオグラフィックより。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?