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ちちんぷいぷい

てんもん君がちちんぷいぷいしています。地震、病気、争い、太陽フレアが来ませんように。

ちちんぷいぷい    ちちんぷいぷい

地鎮武威武威    地鎮武威武威

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私たちの遺伝子の中の昭和
『さっちん』荒木経惟著より

“最古の文明  シュメールの最終予言  秋山眞人著
いまも続くスメル渡来説の研究
昭和の世に、そのことを公にしようという動きがありました。伊予三島神社の祠官・三島敦雄が一九二七年(昭和二)に書いた『天孫人種六千年史の研究』は、古代日本に渡ったシュメール人がいたことを示しています。~
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三島は、天皇家はスメル(シュメール)の王家と関係が深く、スメルの神々は日本の神々等対応、高天原はバビロニアのことであり、日本とスメルは共通の言語やシンボルを持っていると主張しました。
そのことを口伝継承していたという歴史家もいます。四世紀の大和朝廷に存在したとされる武内宿禰に始まる正当竹内家に一七〇〇年以上前から伝わる秘儀・秘伝を口伝継承してきたとする、第七三世武内宿禰こと竹内睦泰(一九六六〜二〇二〇)です。彼が継承した口伝「正当竹内文書」によると、五〇〇〇年以上前にシュメール文明(スメル文明)を築いたのは、太陽の沈む方角に太陽信仰の理想の国をつくろうと日本から大陸に渡ったオオゴトオシオ朝とも呼べるグループで、彼らの王をスメラミコト、スメル最大の都市スサの王をスサノオと呼んだということです。
しかし、理想の国をつくるには、メソポタミアの自然はあまりにも過酷で、鉄器文明の到来とともに外国からの侵入も激しくなったことから、理想郷を断念。草原ルート、陸ルート、海ルートに分かれて、長い年月をかけて日本に戻ってきたといいます。海ルートを東南アジア経由で九州にたどり着いたグループが、海から転じた天族こと天孫族で、陸ルートを朝鮮半島から山陰地方に上陸したのが出雲族、草原ルートで日本海側に渡ってきたのが月読の一族であったそうです。
もし、その口伝が本当だとすると、天照大神、スサノオノミコトといった日本神話の神々は、シュメール(葦原中国)からきた王家(スメラミコト)の末裔であったことになります。三笠宮崇仁親王が、古代オリエント史を研究する歴史学者であったことも偶然ではないでしょう。当然、古代天皇家にもシュメール人の預言書といえる「行動計画書」が伝わっていたはずです。”

(✷‿✷)モーゼが神から授かった十戒を記した石板が収められる入れ物が、アーク聖櫃だが、この石板にはシュメールの神からの預言を掘った粘土板との強い関連性を感じます。皇室三種の神器のうちの八咫の鏡の背面にはヘブライ語が刻まれているという有名な説があります。シュメールの粘土板、モーゼの石板そして天照大神の鏡に記されているのは、いずれも神、宇宙的超知性体からの預言です。日本神道もまた、皇室以前のシャーマン的神道、大和朝廷以後の皇室神道、歴史上現れた様々な神道に大別されると思われますが、この数千年間、有史前の時期には圧倒的な異民族、異文化との対峙、相克、融和を経てきていると思われます。日本古代語へのインド・ドラビダ語流入と神名、王族名化。数百の共通意味を持つ日本語とユダヤ・ヘブライ語からほぼ確実視される日ユ同祖論。インドネシア語と日本語の共通意味を持つ言語などなど。日本という器には、聖徳太子の看破した“和”、樽の箍のような異なるものを収束して、混ぜ合わせ調和させる特質が明らかに存在します。ちょうど半導体分野にいう超集積回路LSIのような。したがって様々な文化文明そして遺伝子が集められ、掛け合わされる場所。今一度その機能を発現できるかどうかが、この十数年に賭けられた日本の命運を左右するでしょう。


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