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“常若、常緑、中今、脱生老病死・脱生死輪廻”

今朝布団の中から曇天の空を見ている。テレビのアンテナに我が家に棲むツバメ夫婦がとまってこちらを見ている。最近ここ数年、時間が早送りのように感じられる。また低気圧病というまったく新しい気象病が広がっている。壊れ縮小してゆく世界と身近な社会と自分の人生への焼け付くような焦燥感がまず起き抜けの感覚。それからnoteなど見て毎朝会の方々の知性感性の、珠玉のエネルギーにふれ、自分の中に少しづつ気力が立ち上がり、生きることを探検探索や芸術のようにイメージでき始める。思うにこれは毎朝眠りから覚め肉体にもどる時に意識が無意識領域で感じた圧縮された荒廃感を意識化、感情化しているのだと思う。さらには生老病死の老病死の領域が自分の中で確実に広がっている実感だと思う。そのような時にはすぐそばに発想の魚影がいるものだ。それは“常若、とこわか”という伊勢神宮式年遷宮を説明する神道の言葉で、つねに若い常緑樹のようにあるということ。一日一日生き死にを繰り返し、常に今を大切にする“中今”という生き方への気づきだった。老いて、未病となり、確実に死に近づく肉体と心とは、切り離された、別の心と器を自分の中に構築するということ。生老病死、生死輪廻する心と肉体とは別次元の高い振動のなにものかを自分の中に持つこと。瞑想もヨーガも信仰も生きるということの結実も、実は[天使の翼]=【生老病死・生死輪廻より高い振動の“常若”という量子場】を自分の中に生成することに他ならない。つばくらめ 短き生を 雛の為 

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