アウシュビッツ・フラクタル10. 参照:●“アウシュビッツと私”早乙女勝元著 ●“死者の告白、30人に憑依された女性の記録”奥野修司著 《繰り返し繰り返しフラクタルを繰り返す彷徨える苦しみと憎悪のエネルギー》
“地下にもぐる階段を下りていきますと、ざらついたコンクリートの肌が見えて、地下壕にも似た入口がありました。一歩踏みこみますと、あっけなくも、そこがガス室なのでした。…柱も窓もありません。天も地も、右も左も、どっちを見ても壁だらけで……私は『ナチス・ドキュメント』の中のSS隊員ゲルシュタインの報告を、ふたたび思い出さずにはいられませんでした。
『それから行列が動き出した。絵のように美しい少女を先頭にして、彼らは並木道を進んだ。全部が男も女も丸裸で、入れ歯まではずしていた。(略)戸外の一隅にたくましいSS隊員が一人立っていて、牧師じみた猫なで声で哀れな人たちに向かって「別になんにもありはしないよ!お前たちは、部屋の中で深呼吸して、胸を拡げればいいだけだ。この吸入は病気や伝染病を防ぐのに必要なのだ。」と言っていた。(略)彼らは小さな階段を登っていった。そしてすべてを了解したのである。子供を抱いた母親、裸の小児、大人たち、男も女も、皆丸裸で―ためらいながらも、後から続く人たちに押されるか、またはSS隊員の鞭に追われるかして死の部屋ヘ入っていった。たいていの者は一言も発しなかった。燃えるような眼をした四十歳ばかりの一人のユダヤ婦人が、そこで流される血が人殺しどもに報いるのだ、と叫んだ。彼女はヴィルト隊長によって顔を五、六回鞭で打たれてから部屋に消えていった。―多くの人たちが祈りをささげた。』以上“アウシュビッツと私”
【死者の告白】 奥野修司著 〈震災後、30名を超える死者に憑かれた20代の女性ーその体験を除霊した古刹の住職と彼女の証言から書き起こした彷徨える魂の記録。〉(✷‿✷)2万2千人が亡くなった東日本大震災後、大量の死者に憑依された女性と僧侶の除霊のドキュメントです。アウシュビッツと突き合わせて読んでください。 “福島原発で亡くなった男性が訴える家族への心残り これまでとは違う霊 「今度の人、つらそうです」と、高村さんがため息をつく。事前に彼女から、30代前後の男性で、防護服のような白い服を着て働いていたと聞かされていた金田住職は、「福島原発で働いている人?」と尋ねた。「そこまではわかりませんが、訴えも激しくて苦しんでいます。大変そうです」……「嫌だなあ…じゃ、入れます」突然、高村さんが四つん這いになって苦しみ始める。喉元を押さえながら悶絶する。まるで窒息死するかのようだ。畳に左手の指を立て、何度も引っ掻いた。「苦しい〜!」体から絞り出すような声だった。その時、突然、寺の境内を強いつむじ風が通り抜けた。なにか不吉なことが起こりそうで、儀式を見守る人たちは思わず身震いする。一瞬、本堂が静まり返って音が消えた。「おえぇぇ〜、吐きそうな感じ、だけど、なんか…うえぇ!」…「英ちゃん、吐きそうなのか?溺死じゃないのか?」金田住職も住職夫人も、何が起きたのかわからず困惑していた。……周りで誰かが叫んでいるが、その声が鼓膜に刺さってくる。「たぶん、担架のようなものに乗せられて運ばれていたのかもしれない」と高村さんは言う。…「高熱が出ているのに寒くて暑くて頭が痛くて、全身が痛いようなだるいような、インフルエンザに罹った時のような感じかもしれない」と言った。……この若い男も目はほとんど見えなくなっていたが、やはり聴覚だけは残っていたらしく、仲間らしい人たちから「大丈夫か」とか、男の名前を呼んでいる声が高村さんにもかろうじて聞こえた。………「苦しい、苦しい!ハァハァ」男は息も絶え絶えに、何度も苦しいと訴えた。男とリンクしている高村さんも、やはり息絶え絶えだった。「大丈夫か?何が起きたんだ?」…「仕事をしている時に、急に…」「地震で何かが倒れたのか?」…「地震じゃない、こんなのは聞かされてなかった。安全だと聞いていたのに…みんなで仕事をしていたんだ…。ウッウ〜ッ、苦しい、なんとかしてくれ」「どこで働いていたんだ?何が見える?」…「白い防護服だな?」…防護服と聞いた途端に、朦朧としていた男の意識がいきなり明瞭になったようで、それまでとは違った声音で叫んだ。この時、不思議なことが起こったと、儀式を見守る人たちが証言している。いきなり通大寺の本堂の窓ガラスがビリビリと激しく振動したのだ。…その場にいた人たちは怖ごわと周囲を見回した。…まるでポルターガイストのような現象だったが、ただ幸いなことに、それ以上のことは起こらなかった。男は、少しづつ意識が戻ってきたようだ。……金田住職は、福島の原発で働いていたのなら、あの時のメルトダウン(炉心溶融)によって引き起こされた水素爆発で倒れたとしても不思議ではない、と思ったのだろう。……「何が起きたんだ?」…「何が起きたかわからない。聞いてばかりでなく俺に教えてくれ!ここは病院じゃないのかよ!?」「ここはお寺だよ」「お寺?なんでお寺なんだ。頼む、病院に連れていってくれ!苦しい」「それはできない。あなたはもう死んでいるのだから…」「…死んだ?」「そうだ。あなたは死んでいるんだ。思い出しなさい」「うっあの時か…、あの時、死んだのか?」「そうだと思う」「あいつはどうなるんだ」……高村さんの魂がポコッと外に放り出されたと高村さんが言う。この時、男は死を迎えたのかもしれない。……
「…やっと死んでくれそうだと思ったら、突然、外に放り出されたんです。そこはいつもの真っ暗な世界でした」高村さんの魂は建物の中を見ていた。そこは病院ではなかった。一時的に設えた避難所かもしれない。…それにしてもうるさい。アラームのような音があちこちで鳴っている。放射線量をモニターする線量計だろうか。…「妻はどうなる!子供も生まれるんだぞ!」高村さんの体を乗っ取った男の霊が金田住職に怒りをぶつける。「この世に残した奥さんが気になるか?」「死んだなんて言うなよ、なんとかしてくれ!」…「子供はいつ生まれるんだ?」…「夏だ。夏には…」「夏か。……もう生まれてるな」”
(✷‿✷)あまりにも壮絶な、時代の異なる惨死と死者と死者の意識のドキュメントです。宗教、哲学の問題以前の、人間の異常死と死後の意識が、場所と時間に固定されて、生者からの支援、祈り、供養がなければ、永劫にその状況に居続ける、例えば、床にこびりついた血痕や壁に張り付いた皮膚のように。世界には循環して流れすぎてゆくものだけでなく、繰り返し繰り返しフラクタルを繰り返す、彷徨える苦しみと憎悪の膨大なエネルギーもまた、満ち溢れているのです。なんとかできるのは、私たち生者だけなのです。
※画像は“アウシュビッツと私”より。ガス室。
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