“騎士団長殺し”読書感想文25. 《何らかの霊的エネルギーに憑依され異界を彷徨う体験》
“「人は時として大きく化けるものです」と免色は言った。「自分のスタイルを思い切って打ち壊し、その瓦礫の中から力強く再生することもあります。雨田具彦さんだってそうだった。若い頃の彼は洋画を描いていました。それはあなたもご存知ですね?」「知っています。戦前の彼は若手の洋画家の有望株だった。でもウィーン留学から帰国してからなぜか日本画家に変身し、戦後になって目覚ましい成功を収めました」免色は言った。「私は思うのですが、大胆な転換が必要とされる時期が、おそらく誰の人生にもあります。そういうポイントがやってきたら、素速くその尻尾を掴まなくてはなりません。しっかりと堅く握って、二度と離してはならない。世の中にはそのポイントを掴める人と掴めない人がいます。雨田具彦さんにはそれができた」大胆な転換。そう言われて、『騎士団長殺し』の画面がふと頭に浮かんだ。騎士団長を刺し殺す若い男。”
私の親友の中には、正真正銘の芸術家が二人いる。一人は映画の世界から演劇の世界に若い頃から展開し、著名な演劇人や俳優との豊富な経験に恵まれ、今は一つの派の大御所的存在だ。後世に残される有名出版社からの作品集がどこの図書館にもある。もう一人は彫刻家にはなったが、何らかのインスピレーション、魂を切り開かれる出会い、体験に遭遇できなかった技巧の挑戦者で終わってしまった。成功した方には、強勢な運が途切れなく味方した。多くの仲間、追従者が絶えず彼を囲んだ。学生からの表現者人生の最初が自主制作映画で、私も役をもらって演技らしきフリをし、あの鷺の飛ぶ遠景を撮れとかいろいろ関わった。芸術家としての霊感をもたらすものの一つが運であることはまちがいないが、もう一つあげるとすれば、何らかの霊的エネルギーに憑依され異界を彷徨う体験だと思う。この場合、彼が生きているうちに評価されるとはかぎらない。