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仕事のできる奴、仕事ができない奴の違い

私は【仕事のできる奴、できない奴】という表現が嫌いだ。
それでもこの話題に触れる以上、この表現方法に頼る必要があった。
不快感を覚えた方には申し訳ないことです。


社会に出て【できる奴】になる人、社会に出たけど通用せずに【できない奴】と呼ばれる人。
一体どのような違いがあるのか?

答えは沢山あるし、色々な視点があるから『絶対にこれが肝だ!』というものは無いのかも知れない。
それでも敢えて答えるのならば、【演じることができる人になれるかどうか?】だ。

令和の時代にこのような不特定多数の方が見れる場所で自身以外の方々を批判することは少し気後れするが、大多数の人、恐らくこの世の98%以上の方々は私を含めて"才能なき人"であり、素のままで【社会人】として社会に受け入れられることはあり得ない。

回りくどい表現をしたが、簡単に言えば社会に出たばかり、【そのままの自分】が社会から求められる人間であることは皆無ということだ。


それに気が付くかどうかができる奴・できない奴の分かれ目であり、一社会人として生活していくのに、『ありのままの、そのままの自分でいい』なんていう考え方は完全な甘えだ。
しかもそれに気が付かない人は目も当てられないほどに酷い。

そういう人種は凡そ『私は鈍臭い人間だから仕方ない』とか『私は働くということに適正がない』とか『自分なりに一生懸命やっているつもりだ』とか自分を貶して逃げることだろう。
そこに【努力】や【上を目指す】といった考えは出てこない。


学生ならまだしも、社会人として誰かから金銭を受理して生活していくならば、社会から求められる人間、言い換えれば社会から【需要】のある人間でなければならない。

では具体的にどうすれば良いのか?


また繰り返しになるが、その答えが【社会から求められる人間を演じる】ことだ。
愛想良く機敏に、時間を守り行動する人間。
それだけではなく、仕事の質は高品質で丁寧な人間。
言葉に表せば、たったこれだけのことだ。
素の状態でそれができている人はそうそういない。


だが、そういう人間を演じることができれば、社会人としての【需要】は必ず見込める。どこに行ったとしても求められる人材であることは間違いない。

ただ、ここで一つ問題が出てくる。
愛想よく機敏に、時間の厳守。ここまでは誰でもできる。
しかし、【高品質な仕事】というものはどうやってできるようになれば良いのか。
こればかりは演じることができないはずだ。


例えばサッカーを始めたばかりの人が頑張って走り回ることはできても、いいポジション取りをすることはできないし、ドリブルだってシュートだって上手にできないのは当たり前のことだろう。
パスだって上手くできないはずだ。

同じように社会に出たばかり、或いは転職したばかりの方が【最初から高品質な仕事】を行えるということは通常あり得ない。


それを解決するのが【愛想よく機敏に、時間の厳守】を続けていくことである。


人間というものは【仕事の質を重視する人】よりも【信頼できる人】に仕事を頼みたい、知人を紹介したいという割合のほうが圧倒的に多い。

どんなに面白い芸人でも社会が求めているルールに従わなければテレビに出られなくなる。
どんなに美味しいラーメン屋さんでも愛想が悪く、入店してきたお客さんを無視したり、店舗の掃除が行き届いていなければ、いずれは廃業に追いやられる。
時代についていけなくなるという言い方もできる。

しかし、お世辞にも美味しいとは言えないような飲食店であっても、店員が愛想よく、素早く丁寧な接客を続けていれば客足が遠のくことなく、仕事の量をこなした料理人の腕が上がって美味しい料理を出せるようになる。
質より量、質は量からしか生まれない。

量をこなすために沢山の経験を積む必要がある。

質が保証できないのであれば、愛想よく、素早く丁寧な仕事をして沢山の仕事をもらう。
そうすれば自ずと成長していくことができるのだ。



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