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言葉を発する人へ敬意を。


最近Twitterをちゃんと運用しようとマメに投稿したり話題を追ったりしています。

そんな中,「月へ行く」と宣言して話題の株式会社ZOZO前澤友作社長がTwitter上でこんなことを投稿しました。

(前後の文脈がありますが,一番「提案」をされている投稿をピックアップしました。クリックして一連の流れを見てもらうのが一番いいかと思います。)

何の話かというと,この話題。

内戦下のシリアで武装勢力に拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さんについてです。

今回は別に,テロ対策について話したいわけでもないし議論の行方を追いたいわけでもないです。なので,この投稿の後の展開にはそんなに触れません。

あくまでこの投稿とその反応を見て感じたことを書きます。


・・・

リプライ欄を見たら、違和感があった。

最初に紹介した投稿の一連の流れを見ていて,その投稿のリプライ欄(返信・コメント欄)に違和感があった。いやむしろ少しの嫌悪感。

言うだけならいくらでもカッコいいこといえますよね、自分に酔いしれて。
ご自身で、現地に行き、話し合ってやめさせてきたらいかがですか。
宇宙へ行くより、現実的です。いつもご機嫌ですねー。
無知な人間の理想論は誰も好まない。
口なら誰でも言える。言うなら、自分が実行して、成果を出して自分で解決させて下さい。
発想も発言も稚拙(´・ω・`)恥ずかしい
面白い方だと思ってたけど、なんか残念だなー…
得意分野以外はつぶやかないほうがいいと思うよ
歴史を勉強なさってください
目的はみんな知っている
調子乗ってないでロケットに乗る夢でも見てろボケヾ(`Д´*)ノ


この投稿者(あえて一般化します)の意見が「正しい」のか「間違っている」のか,「ばかげた話」なのか「建設的な話」なのか,僕には完全には判断できないなと思った。

少し(現実的じゃないのかもしれない)と思ったけど,話し手の提案は僕の発想にはなかったことだし「アリなのかも」と思った部分もある。

なにせ久しく『世界平和』について考えていなかったし,『テロをなくすにはどうすればいいか』なんてそれこそ話題として現実味にかけることだったから考えたことがない。

上にあげたようにこの投稿に反応していた方たちは,日頃から『世界平和』について深く考えているんだろうか。



多分,そんなことないよね。


・・・

「ああこの人たち,『反応した』だけなのに,自分は『意見した』と思っているんだろうな。」

そう思った。

誰かが表に立って勇気を出して発言をする。あるいは理想を語る。

その瞬間に「出番が来た」と思って,得意げな顔で

「その考えは間違っている!」
「理想論だ。調子に乗るな!」
「勉強してから発言した方がいいですよ。」

あげく話し手がフォロワーの多いインフルエンサーだったりすると。

「結構好きだったのに…。なんだか残念です。」


きっとこういう『反応』をする人たちは,自分が『意見』をして,そこで『議論』が成立していると思っているんじゃないかなあって。

でも,これはただの「値踏み」です。

誰かが苦労して手に入れた食材で,自分で培った技術を駆使して世に出した一皿を,ただ食した人が「わかってないな。」と値踏みしているのと一緒です。

そこに敬意も尊重もない。

レストランなら食事の代金があるけれど,Twitterはタダだもんな。
そりゃおいしい話だ。


「あなたならどんな一皿を作りますか?」

つまり,あなたの意見を聞かせて下さい。そしてそれに答える。
これが議論するときの基本じゃないのかなあ。


・・・

言葉を発する人へ敬意を。

それだけだ。

言葉を発すると間違えることもある。他人の話を聞いていて「それは違うと思う。」なんてことはザラにある。

でもその人は言葉を発している。それだけでただ「反応」しようと身構えているその他大勢よりずっと価値がある。

と僕は思っている。


「それは違うな。自分の方が知っているな。」と思えば教えてあげればいい。あなたが知っているのは誰かに教えてもらったからでしょう?

自分で本を読んで勉強した?だったらそれを紹介してあげるか,その人に届くような本を書けばいい。

間違いを正すように接することももちろんある。
でも根底には,リスペクトがあってほしいなと僕は思う。

誰かが発したことに対して「なるほどな。」「そう考えるのか。」と余裕や寛容さがある空気はきっと新しいアイデアもでるし,漠然とだけど何かしらうまくいくのではないのかな。
※それが無いのがインターネット上でのコミュニケーションの特徴かもしれないけれど。

・・・

沈黙は金。

という言葉は「とにかく余計なことは言わず黙っている方が得をする」という日本人が好きそうな言葉だ。事なかれ主義バンザイ。
※大きな主語を使うと怒られがちなのも最近のネット社会の傾向かと。怒られるかも。

ただこの言葉は本来,

「雄弁は銀、沈黙は金」だという。


Speech is silver, silence is golden.
雄弁は大事だが、沈黙すべきときを心得ていることはもっと大事だということ。英国の思想家カーライルの「衣装哲学」にみえる言葉。
※諸説あるらしいです。

今日の僕の主張に合うように着眼すると,

雄弁は無価値じゃない。嘲笑・冷笑されるものなんかじゃない。


そもそも,先に上げた「反応的な人々」は雄弁していないし,沈黙だってしていない。

さっきも少し触れたが,最初に紹介した「意見」に大賛成しているわけではない。ただ,言葉を発しているということに敬意をもって,そこに価値があると思った。

雄弁も沈黙もしない人に声高らかに値踏みされて消費されるものではない。


勢いで書いているので変なところがあったら教えてほしい。

つまるところ,今回の件で感じたことは

僕は、「反応的な人」にはなりたくない。「言葉を発する人」に敬意を持ち続けたい。

ということだ。

そして願わくば,指導者・教育者・仲間として関わる人達でそういう空気を身近なところから育てられたらいいなあと思ったのです。


・・・

(おまけ)

そもそもTwitterって全く議論に向いていないと思うのです。

文字制限のあるし,それでいくつかの投稿をツリーに連ねて流れを作ってもインパクトのある1投稿だけが独り歩きしがち。前後の文脈を文字通り置いてけぼりにして。

そしてそこに「反応」しても「意見」しても,議論の質は上がらないし生まれた誤解によってすれ違い起きるし良いことない。

サービスとしてのTwiiterが議論させたいなら,そういう機能を作るといいと思う。『部屋』を作って議論したい人はそこで意見を交わす。参加も閲覧も自由。その議論を拡散させたい人は『部屋』丸ごとを拡散することにすればいいのでは。


(おまけ2)

もっとああしろよとか 俺に文句があんならば
お前も マイク持ってステージ立って 全部やって確かめりゃいいだろう
(PLAYING RUN / UVERworld)

UVERかっこよいなあ。


(おまけ3)

前澤さんが今回の一連の流れを受けてnote書いてました。



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板谷隼(Hayabusa Itaya)
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