『Don’t Be Silent #わきまえない女 たち』をもう2回見返したら、『アメトーーク!』のことを思い出した
2021年2月3日から4日かけての東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗の発言とそれについての謝罪会見をうけて、2月6日にYouTube上でトークセッションイベントがライブ配信されました。
Choose Life Project 『2/6 Don’t Be Silent #わきまえない女 たち』
MC含め出演者が25人いることを考えると、とんでもないスピード感です…。
様々なフィールドで活躍される女性たちが集い、「なぜこうした差別発言が生まれ、それが許される社会であり続けるのか、もう変えていこう、という思いを込めて議論」がされました。(「」内動画概要から引用)
僕自身はオンタイムで視聴はできず、2時間ちょっとあるこの番組を少しずつ追っかけ再生していったんですが、全部見終わったあとなんだか違和感が残って、これは言語化しないといけないなあともう一度いちから見直してみました。
そこで朧気ながらもなんとか言語化できた違和感の正体を綴っていこうかと思います。
この記事で僕のことを知る人もいる可能性も考えて、以下、自分の前提です。
・26歳男性
・森会長の発言には否定の立場(配信内で紹介された署名も参加済み)
・自己分析だと出世欲が強くない傾向
・わきまえられない人(「空気を読んで場をわきまえる」のが苦手)
・「思考が女性っぽいね」と言われることも少なくない
・「話が長い」と言われることも少なくないので訓練中
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そもそもの課題感
さらに前提なんですが、僕がnoteでよく記事を読んでいる林進次さんがよく書かれているのですが、「性はグラデーション」だと思っています。
男性と女性の生物学的な違いでいうとまず身体の機能に違いがあるわけで、そのなかに脳も含まれていると思うんですね。だから、身体的機能ではない思考にも大まかな傾向として「男性っぽい」「女性っぽい」というのはあると思うし、
でも一方で、それが性別(ジェンダー・セックスともに含む)ではっきり分かれるわけでもないと思うのです。相当数の人を対象に調査をしたらきっと傾向があるだろうというだけで、人それぞれ、多様性があってそのグラデーションの中にみんないると思うのです。
配信イベントの序盤、森会長の発言についての指摘として小島慶子さんから「森会長は会議というものを議論する場ではないと定義をしていて、民主主義の否定になっている」という話が出たり、
それに続いて能條桃子さんから「自分にとって自分の意見をいうことは当たり前のことで、それを男だから女だからというのはナンセンスだと思う。」「社会全体として常識をアップデートすることを考えるきっかけになったらいいなと思う。」とありました。
すごく共感できるお話で、僕も森会長のあの発言からは「多様性を尊重しない姿勢」が感じられて、その上であの場のマイノリティである女性に対しての蔑視的な思想が汲み取られたと理解しています。
「役に立っている」とか「わきまえている」とかがすでに尊重に欠ける表現ですよね。これは想像ですが、森さんのような方々の集団で、うら若い20代の男性が会議の場で何か主張をしたとしても「場をわきまえていない」と言われる気がするのです。
今回の発言や謝罪の課題として、多様性を軽んじマイノリティを尊重しない思想と女性に対する「女は~」といったような差別的思想のダブルパンチだったんだなあと。
今回のように女性差別だったり機会不平等の話になるのは、政治や経済活動などの大きな意思決定の場において、明らかに女性がマイノリティだからと理解をしています。特に今回出演された皆さんが活躍する環境はそのような状況が多いと推察できて、そこにジェンダー不平等の問題があるために社会としても様々な動きがあるのではないでしょうか。(環境によっては男性がマイノリティな場面も当然あって、それはそれでやっぱり肩身が狭いものですよね)
今回の発言を社会構造的な課題と捉えて、男性の問題、女性の問題というような話を越えて自分たちでアップデートするために声を上げる必要があるのだと、すごく真っ当で建設的な主張が続きました。
みたらし加奈さんが言うように「色んな人に色んな背景があって、いろんな特性や障害があってというのがみんなに伝わっていく社会って、いろんな人にとっての未来を描ける社会」だと僕も思います。
そこに男性が~、女性が~、という区別や対立構造のようなものは馴染まない気がしています。性だけでなく人の性質のすべてはグラデーションだと思っているので。
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※ここから違和感の話になるのでみなさんお気を付けください…(何かに)
シーソーの端っこに立つ気分になった
イベント中盤から、ちょっと違和感が生まれ始めました。
基本的に今回の出演者はみな「女性」として語っている側面があると思うのですが、中盤以降その色がいっそう強くなってきた感じがありました。「男性だったら…でも女性だったら…」みたいな話の流れにもなって、それが良い悪いという話ではなくて、ただ雰囲気が変わったかなあと感じました。
「怒り」をベースに話をするとき、往々にしてポジションを取ると思うのです。自分の立場を決めてそこから「怒り」を表現するのです。
今回の出演者の皆さんも「怒り」の側面があると思うのですが、
そこでのポジションの取り方が中盤以降、女性側と男性側があるシーソーの「女性側」のすごく端っこにあるように思えた瞬間が多々ありました。
そうなると僕は男性なので、シーソーのつり合いを取るには男性側の端っこに行かなくてはならないような気がして、それはちょっと居心地が悪いなあと感じたのです。同じ場で話をしているわけでもないので非常に勝手な言い分ですが、話をしたくても声が届かないかもしれない…と思いました。
同質性のある複数の人で「怒り」を共有した時によく起きることかもしれません。1に1.1をかけ続けるのと0.9をかけ続けるとでどんどん差が開いていくようなイメージです。
これは本当にごめんなさい、でも正直に書きますねという話なんですが、
出演されている方の中で「あ、ちょっとこの人の話は口調とかトーンとかが強くて、自分にとっては心地よくないな…。内容は問題ないけど、でもちょっと長くは聞いていられないな…」と感じる方がいました。
これは多分、僕はこの方が男性でもLGBTQの方でも若い方でも年配の方でも感じると思うのです。自分自身にだって、人にこういう話し方をするときがある気がするので気を付けようと思います。
でも、もしこの方と僕が直接話すことのある関係性で、先ほどのような感想を伝えなきゃならないことがもしあったら、
「わたしが女性だから言われた!男性だったら言われないのに!」と言われちゃうのかなあと思ったんです。
その方と僕との話だと思って伝えても、女性全体への、それも男性からの発言という受け取られ方をされそうだなあと。それは悲しいなあ。
でも仕方ない気もするんです。お互いに「女性ー男性」のシーソーの端っこにいる状態で言葉を投げても、ポジションからポジションの言葉のように受け取られるのかもしれないです。
性差別や性別による不平等の話に向き合う時、僕は男性というポジションからではなく、一個人として話をしたり聞いたりしたいのですが、それは逃げなんですかね…。
男性としての潜在的な加害性を自覚していると、それに悩むこともあったりすると思うんです。
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訊き手がいない
これまたすごく失礼かもしれないんですが、思ったことを正直に言いますと、途中からこの話って誰に向かって話しているんだろう、というか、誰と語り合ってるということになるんだろう、というようなことも感じました。
(配信企画としてのターゲットがあることは理解しているんですが…)
もちろんイベントの進行や企画の方向性、時間の都合などいろいろあると思うんですが、イベント内で、誰かが話したことに対して質問したり、そこをさらにみんなで深めたりということがあまりなかったように思っていて、
みんながMCの永井玲衣さんから話を振られるのを待って、自分の番が来たら話して、もちろん次の人がその話を受けて話すことはあるけれど対話的に深めていくというような場面がなかったのに、僕は違和感を覚えました。
#わきまえない女 とタイトルにありますが、わきまえず自分の思ったことを言うこととセットで、相手の思ったことを引き出してそれをフラットにテーブルに並べるというのがあるのではないかと思っていて、みなさん他の方の話をしっかりと聞いて受け止めてられていると思うんですが、さらに深めていくような動きや「聞きあう」「訊きあう」みたいな対話的なシーンを見たかったなという(ほんとに個人的な)思いです。
これはあくまで個人的な趣味嗜好なんですが、キャッチボールではなく球を投げっぱなしでまた「次のボールを投げる」感じがしたなあという感覚でした。みんな投げる人もとい「語り手」で「聞き手・訊き手」不在な感じ。
そんな中、コムアイさんの発言にはすごく強い共感を得ました。(一部要約抜粋)
「森さんにとっての問題意識は女性を40%いれなきゃならないということに留まっていて、多様な人たちがテーブルについて話ができないとそれが結果的に社会の損失になることをわかっていない」
「男と女を足して100%という話だとおもうんですが、そこではLGBTQの人たちが無視されているとか、そういうことを根本的にわかっていない人にどう理解してもらうか。」
「周りの年配の人がみんなそういう人ばかりかというとそういうわけではないから、年齢の問題ではない。時代が変わっていく中で、自分も一緒に変化していけるかどうかというのを自戒とともに感じた。
「『わきまえる』というのは日本にある一つの美学だと思うけれど、自分の思っていることをちゃんと伝えるということも『かっこいい』ことだし、それは両方持てるものだと思う」
最後に、
「自分も『男性は~』、『女性は~』ということを言ってしまうことがある。ここはデリケートなことで、例えば国籍でついつい言ってしまうこともあるし、でもそれを全部なくせばいいのかってことも違うと思うので、これをみなさんにも聞いてみたいと思います」
と語られました。
時間が許せば、には間違いないですが、自らの内省をしてさらに「これをみなさんにも聞いてみたいと思います」というこの答えが出なさそうな問いの表れに対して、多様なバックグラウンドを持つ人たちでテーブルについて対話できる場だったらさらによかったなあという理想をここにおいておきます。
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アメトーーク!には「見届け人」がいる…!
ここまでの文章を通して「多様性」という言葉を出してきましたが、今回の出演者はある程度の「同質性」の強い方たちだなあと思いました。女性というくくりだけではなく、社会的な影響力であったり、例えば(これはおそらくなんですが)大卒の方が多そうだとか。
そこで思い出したのが、「同質性」のある芸人さんがたくさん出演するあの番組です。
アメトーーク!
「ガンダム芸人」「家電芸人」みたいなトピックで括られるタレントが面白おかしくトークセッションする番組なんですけど、この面白さに欠かせないのってMCの横に座っている「見届け人」だと思うんです。
(僕が好きな木村文乃さんと倉科カナさんです)
見届け人には
「知らないゲスト(もしくは詳しくないゲストや知りたいゲストなどジャンルに関する知識があってもまだ未熟である)」
「アンチの立場を取るゲスト(または否定派)」
などがあって、そのスタジオ内でのマイノリティがそこにあるんですね。
それで見届け人に素朴な疑問が生まれたりするとツッコミがあったりして、番組が盛り上がるわけなんですが、
○○芸人にとっての「聞き手・訊き手」なんだなあと思ったのです。
番組ではそこで「わかりあえない」というのを面白く扱うんですが、「わかりあえない」って立ち位置が違えば、自分が人生の中でしてきた経験と相手が持っている経験とが違うのだからそりゃそうだよねという話で、
でもそこから始まっているから、ちょっとでも相手のことを知ろうと話が拡がるんだなあと思うのです。
#わきまえない女 の話に戻すと、1人か2人でいいから、属性や立場が違う方、例えば男性が「聞き手・訊き手」として出演しているのが、こういった問題を考える上では望ましかったのではないかなあと思っているのです。
アメトーーク!は同質性の中にマイノリティをいれて、その視点を文脈に取り入れている番組なんですね。(社会一般から見たらスタジオ内とマジョリティ・マイノリティは逆転するかもしれませんが。)
以上、『Don’t Be Silent #わきまえない女 たち』を視聴して抱いた、主張というより議論や場に対しての違和感を言語化しました。
僕らからできることって、身近な人とこういう話を対話的にできる環境を作っていくことからかもしれませんね。
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なんだか今度は男性たちによるセッションがあるようで。
今夜20時からなので、また僕は追っかけ再生になるかと思いますが、またじっくりと観て考えたいなあと思います。
(と思ってましたが、仕切り直しするそうです。この記事公開から2時間立たない間のことでした。そのため下の動画はリンク切れになっています。)
[投稿から90分後に追記]
2021/02/09
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[2021/02/09 14:00前に追記]
仕切り直しだとのこと。そうだよなあ、ちょっとやり方は考えないとだよなあ。
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[2021/02/09 21:00過ぎに追記]
下の記事が18時頃に公開されました。ここまでの流れに、この記事を読んでいただいた皆さんがどんな印象を抱いたかが知りたいです。
僕は「なんで、こんなにも分断を生む方法や言葉を選んでいくのだろうか…」という気持ちです。文脈として「男性」あるいは「女性」とあえて添えなくてもよいように感じる箇所があったり(男性出演者、女性スタッフなど)、この問題に対して男性を「わかっていない人たち」と下に見ている雰囲気を、僕は感じ取ってしまったんです。
「男性社会」で起きていることが、この問題に関するあの記事やイベントの中でちょうど真逆の現象として表れている気がしてしまいました。
リスペクトに欠けている現状を問題視して声を上げている方々が、リスペクトに欠ける表現をしてしまっている気がしてならないのです。
でも、これもやっぱり僕が男性だからそう思ってしまうということなんでしょうか。できる限りフラットに、一個人としての感想のつもりではあります。
ご意見をください。もっとよく考えたいです。
あとがき