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自分の人生に向き合う姿を / 長尾彰×冨田大介のはなし#2

元プロサッカー選手、冨田大介。

トミダイの愛称で知られた彼が、19年間のプロ生活のハイライトを語ってくれ、そこから僕自身が感じ得たことを綴った。

しかし、その話をひとつの記事で書ききれるわけはなく、その中でもやはり「現役引退」という大きな節目については触れておきたいと思った。


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ニーズがなくなれば、それが引退の時


どういうきっかけがあって、現役引退を決めたのか?


「ニーズがなくなれば、その時に引退するのだろうなとは思っていた。」

19年間、壁にぶつかるたびに武器を身に着け、自分をアップデートしてきた。選手としての力は、キャリアの長さに比例していく実感があった。ただ、チームから求められなければ、プロサッカー選手として生きていくことはできない。長いプロ生活を送ってきた彼自身が、最も身に染みて理解していることだ。2018シーズンを終え水戸ホーリーホックとの契約が満了したあと、J1、J2のクラブからのオファーはなかった。

その年、彼の出場記録は天皇杯での2試合。J2での出場はなかった。

もちろん、その下のカテゴリーであれば話はあったが、彼が求めている”納得感”はそこにないように思えた。自分が身につけてきたもの、自分が今ピークであること、それを高いレベルで証明できた時の景色を見たいという気持ちが大きかった。

しかし、その証明のための舞台は用意されなかった。


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最後の試合


「でも、自分で引退の決意ができなかったんです」

頭にあったのは「なぜサッカーをしているのか」。

”誰かのために”と思うようになったキャリア晩年。ただ一方で彼は、結果を手にしてはいなかった。プロになったからにはと目標に掲げた日本代表にはなれなかった。日本一といえるようなタイトルも手にしていない。

この自分のサッカー人生は、何だったのだろう。失敗だったのだろうか。そんなことが頭をよぎる。今まで応援してくれた、お世話になってくれた人に恩を返せたといえるのだろうか。


そんな時に「あれが最後の試合になるのか」と思い返した試合があった。

第98回天皇杯3回戦 水戸ホーリーホックvs川崎フロンターレ




この試合、トミダイはリードを奪われていた後半終了間際に起死回生のゴールを決め、延長戦を含む120分間を走り切り、そして過去の失敗で嫌な記憶として残っているPKも、きっちり沈めた。


J1王者を相手にゴールを決め、120分走り切り、やり残していたPKも決めた。それまであまり年齢のことは気にしていなかったが、「41歳でその状態にあったこと、それは自分のサッカー人生の答えなんじゃないか」と感じた。

自分の力を証明できた、そういう風に思える。振り返ってみてはじめて感じた”納得感”だった。

自分とサッカーに真摯に向き合い続けた答えが、そこにあったことに気づいたのだ。そこに至ることができたこれまでの自分に満足感があって、サッカーをやってきた意味を探していた自分の気持ちに、やっと折り合いがついた。



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気づけば、その道は自分だけものじゃなかった


ルーキーの頃から日本代表を目指して、自分のためにやってきた。自分の「こうなりたい」を追い求めてきた。しかし、何度もあったくじけそうになった瞬間に、脳裏には支えてくれた人の存在があった。自分だけの人生じゃないな。ここで負けちゃだめだ。この人たちのためにも戦うんだ。そういう思いが選手生活の中で徐々に芽生えていく。

思い返せば、プロになれたのは大学時代に師事した大槻 毅氏(浦和レッズ監督)の存在が大きかった。プロとして戦っていくための最初の武器を授けてくれていたのも大槻氏をはじめとするこれまでの恩師だ。最初の年俸は0円だったが、アルバイトはせずにサッカーに向き合えたのは、仕送りをしてくれた両親のおかげだった。

支えてくれる多くの人と一緒にプロのキャリアを歩んできて、その人たちのためにも戦ってきた。自分だけの道ではない。自分を信じてくれた人の顔が浮かぶ。自分が長くプレーすることは恩返しになる、そう思うようになっていた。


気づけば、自分のためにやってきたことは、いつしか誰かのためになっていた。ただ、本当に誰かのためになれていたかを確認できてはいなかったという彼の心を動かしたのは、現役を引退した時にもらった一通の手紙だった。

差出人の青年は、子どもの頃に冨田大介に出会っていた。

『小学生の時に初めてプレーを観て、すごく影響を受けました。自分の原動力になりました。』

自分のためにやってきたことが誰かの役に立ったのだと、わかった瞬間だった。両親に引退を決意したことを伝えると、「長い間、楽しませてくれてありがとう」と返ってきた。

その時、”自分がサッカーをやってきた意味”を感じた。

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自分の人生に向き合う、その姿を


「自分のために」何かを追い求めている誰かの姿に、心を打たれることがある。きっと、トミダイに心を動かされた少年も、彼のプレーを一番長く楽しんできたご両親も、そうだったのではないだろうか。

「誰かのために」は当然尊いのだが、僕らがサッカー選手やアスリートの姿に感動するのはやっぱり「自分のために」追い求めている姿なんじゃないだろうか。いや、でも「誰かのために」闘う姿はやはりかっこいい…。そうぐるぐると思いを巡らせている時、ひとつの言葉が見えた。


”自分の人生に向き合っている”

そう、きっとトミダイはそれだった。誰よりも真剣に、誰よりも真摯に、自分の人生に向き合ってきた。

彼はそうやって自分の人生に向き合い続けてきた結果、「自分のため」と「誰かのため」を両輪にして走ってきたのだ。

自分の人生にちゃんと向き合って生きている人は、とにかくかっこいいのだと思う。その姿に多くの人が憧れ、勇気をもらい、楽しみにもなった。そして、その姿は誰かの原動力になった。彼が闘っている間に少年から青年になった、手紙の差出人の彼のように。



この社会状況にあって、僕らができることには多くの制限がかかってしまった。1歩先が見えないから、2歩、3歩先の将来を想像することも、明るい未来に期待することも、決して簡単ではない。

でも、どうにかして今を生きていきたい。いま起きてしまっていることを自分のせいにもできるし、誰かのせいにしたくなったりもする。でもどちらにしても、自分の外の状況がいますぐ劇的に変わることはない。

もし変えられるとしたら、それは自分の中だけ。自分の中にあるものを見つめて、自分の人生に向き合うこと。それができるかどうかは、誰でもない、自分次第で、きっと誰に邪魔できるものでもないのだ。

あの華やかな舞台で長く闘ってきた”サッカー選手”は、きっと意識せずに、そのことを僕らに教えてくれているのだと思う。


これから新たなキャリアを作っていく”元プロサッカー選手 冨田大介"は、変わらず自分の人生に向き合い続けるだろう。そして、僕はそんな偉大な先輩の姿にこれからも影響を受けて、きっとさらに自分の人生に向き合って生きていけるような気がする。

その姿をみた「誰かのため」になって、何かの意味を帯びるまで。






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このnoteは、水戸ホーリーホックの「クラブリレーションコーディネーター」である冨田大介氏(通称トミダイ)と、「組織開発ファシリテーター」の肩書で様々な企業やスポーツチームに関わる長尾彰氏(通称アキラ)の対談から、自分が感じたことを書いてくれとのお話をいただいて執筆しました。

長尾さん曰く「両者に共通しているのは『何をしているのかよくわからないが、なんとなく大事な仕事でいろいろな仕事をしているようだ』ということ」でこの対談を思いついたとこのこと。そんな思いつきとなりゆきによって、すごいスピードで企画が進みました。

声をかけていただいたご縁に感謝しています。

また冨田大介さんと同じクラブでサッカー指導者としてのキャリアを始められたことを幸運に思っています。

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1本目


あとがき


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板谷隼(Hayabusa Itaya)
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