なにも大したことができない僕は、微力であれただろうか。
はじめに
2022年の2月にロシアによるウクライナ侵攻がはじまり、それを受けて3月に設立された一般社団法人 戦災復興支援センター、通称WDRAC(ワドラック)という団体に、立ち上げの時期から参加しています。
この団体のユニークさは、ウクライナ侵攻に伴う被害の復旧・復興の支援や、ウクライナから国外に避難する人への支援に、大きな団体に属さずいち市民として取り組む人たちへ、日本国内から支援をすることを目的にした法人、つまり「支援する人たちを支援する」団体であるところです。
そういった「支援する人」を”アンサングヒーロー”(Unsung Hero、名もなき英雄)と呼び、WDRACのメンバーは彼ら彼女らと顔の見える関係を作っています。
WDRACの取り組みや立ち上がった経緯については、このnoteでも書きました。公式サイトももちろんあります。
その時、自分は何ができただろうか
上の記事の中で書いたことなので軽く触れるだけにしますが、発起人であり代表の長尾彰さんを含めて、運営に関わるメンバーはすべてボランティアです。3月15日に彰さんがFacebookに投稿した内容に共感した人たち数百名のコミュニティの中で、さらに「手を動かして力になりたい」と思っている40名ほどで動いています。
特に立ち上げ時はとてつもないスピードでした。本業で経理や広報、エンジニアリング、デザインをしている人がその強みを活かして、呼びかけから10日で法人を立ち上げ、その数日後にはティザーサイトも完成しました。
その時、僕は、
僕は、何もできることがなかったです。
本当に何もなかったなんてことはなくて、絶対あったはず。けれど、仕事のことや当時患った心身の不調なんかで、チャットでのやりとりに追いつけなかったりして、何も動けなかった。引け目を感じて、それでも動けなかった。
代表の長尾彰さんが、最初に仲間を募った文章の中にある言葉。これを読んで、僕は手を上げました。
他人事にしたくなくて、無力じゃなくて微力でありたくて。
でも、いま振り返っても、全然、全然ダメだ。ほぼ無力だったと思う。
今年僕がここで手を動かせたことなんていくらあるんだろうか。例えば広報チームや会計チーム、ITチームのメンバーは日々、仕事や子育てをしながらでもすごいスピードで動いている。
自分で演奏会やチャリティイベントを企画して寄付を集めるメンバーもいる。デザインができる人がポスターを作るし、現地の情報がわかる記事を毎日複数チャットに貼ってくれる人や、地味で細かいルーティンワークを担ってくれている欠かせない人がいる。
僕が(一応)所属しているのは、メンバー間やコミュニティ内のコミュニケーションを円滑にすることをミッションとした「コミュチーム」。定例ミーティングを仕切ってみたり、コミュニティ内SNSをうまく動かすのも役割のひとつ。でも、自分が役に立てたことをあんまり思い出せない。
ミーティングへの出席頻度は多くない、チャットへの応答も良くないかもしれないし、追えてない情報がたくさんある。
「口だけじゃん」「いるだけじゃん」って自分で何度思ったことか…。
向くべき方向と、自分の強み
WDRACのメンバーはそれぞれ、自分の強みを活かしていて、それを感じる度「自分の仕事はサッカーコーチで、ええと…」となって。
嘘です。サッカーコーチを活かそうとかは最初から考えてなかったです。
そういうのではなくて、なんかね、かっこよく貢献したかったんですよね。「コミュチーム」っていう場で何か色々企画したり、メンバーのコミュニケーションのハブになりたいと思ったり。でも、全然コミット出来なくて。ミーティングすら出れてなくて。WDRACの力に全然なれてないなあ、いるだけだなあと思って。
そもそも発想が間違っていたんですね。「WDRACに貢献する」じゃなくて、僕らは遠くで踏ん張っている仲間のために活動しているはずで。向くべきはそこのはずだった。なんならその限りじゃなくて、自分のことを見てる時もあった(アホで恥ずかしい)。
「WDRACのために、じゃないと思うんだよね」
ある日の定例ミーティングで、そういう言葉を聞いた時にハッとしたことを覚えています。俺、バカじゃんって。完全に無力じゃんって思いました。
そして、「僕にできる微力ってなんだ」と(やっと)改めて考え始めたのです。
自分で強みだと思ってなかったことが、実は他の人にはあまりできないことだった、ということは往々にしてあると思います。
僕にとってのそれは「お店の人と仲良くなること」でした。
気に入ったお店に何回か通ったら、名前を覚えてもらえて、僕も従業員さんを名前で呼ぶ間柄になったり、お店に伺った時に長話になってお茶をいただいたり、時にはプライベートでお茶したり。
そういうコミュニケーションや出来事は、僕にとってはよく起きることなんですが、みんな「特殊能力だよ」って言って。
「あ、これは強みか」と思ったんです。
お店に限らず、自分の場所(ハコ)を持つ友人・知人がたくさんいます。
WDRACのリーフレットを持って、友達のお店を回りました。
「ウクライナのことに眼差しを向けていて」
「こういう団体に参加していて」
「この団体はこういう活動をしていて」
このWDRACが何をやっているかを自分の言葉で伝えることが大事だと思っています。自分で書いたnoteを読んでもらったりもしました。
その勢いのまま、ひと月経たぬうちに5、6軒は置いてもらいました。もっと早くやればよかった。
そのうちの1軒の雑貨屋さんは、「自主的にやっていた募金のお金をどこに寄付するか決めかねていて、、、」とも言っていて、紹介してくれてありがたいとまで言ってくれました。
自分で言うのは少しはばかられるけど、もしかしたら僕が持っていったから受け取ってくれたという事もあるかもしれません。僕自身のことを信頼してくれているから、「君がいうなら」と思ってくれたかもしれません。
自分の強みを活かして、力になれた感じがしました。
「微力」でいたい
3月から関わっていて、本当に大したことは何もやっていません。「自分はこの問題を気にかけているんだ」という気持ちだけを大事に、いや時には盾にして、関わっていることだけで自己肯定の餌にしていることもあったと思います。
大事なのは、WDRACに関わり続けることじゃなくて、この問題に向き合い続けて、平和を願って行動すること。
困っている誰かの存在に気づいたら、目を背けないこと。
リーフレットをフォームで申し込んで、「僕が関わっている団体なんですけど」「仲間が頑張っていて」と紹介をすること。その話題を、普段会う人との間ですること。
些細な、些細なことが、もしかしたら誰かの行動のタネになるかもしれない。
行動のすべてが、すぐに芽が出るものでなくてもいいと思います。
どのみち、この人災の傷を癒すには長い長い時間が必要で、一過性の支援をするわけじゃないから。いま蒔いた種が、少し先で芽を出したら、それは紛れもない「微力」です。
先日ある講演イベントの終わりに、主催の福祉法人の方にWDRACの紹介をしました。とても真摯に話を聞いてくれただけでなく、すぐに「こういうのはありかも」と提案までもらいました。
まだ立ち話くらいだけど、来年は何かチャリティイベントなど目に向けた動きをできるかもしれない。思ったより早く、芽の気配を感じたという話です。
▼WDRACには様々な形で参加ができます(フライヤーのデータもあります)
「微力だけど、無力じゃなくて」と自分でちゃんと思えるように。この人災に心を痛めた自分に嘘をつかないように。僕なんかよりももっと大きくて深い傷を負っている人の存在に目を背けないように。行動した自分を、未来の自分と子どもたちに誇れるように。
ウクライナ情勢に心を痛めている人へ
世間の関心の薄れに危機感を感じる人へ
他人事になっている自分に小さなモヤモヤを持っている人へ
平和を願う気持ちをどう行動に移せばいいかわからない人へ
「自分に大したことなんてできないし」と、
自分の気持ちに目を背けて手を上げられない人へ
そんなすべての、僕と”同じような”人たちへ
一緒に、自分の微力を行動に変えて。
▼現在実施中の寄付型クラウドファンディング
寄付を募っていますが、シェアだけでも、友人との会話に出すだけでも、ページを開いてよむだけでも「微力」かもしれません。
▼WDRACアドベントカレンダーについて