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今できることを、今できるだけ
今年の6月に、前々から一度行ってみたかった熊本市の本屋「橙書店」に足を運んだ。数年前から店主の田尻さんが書くエッセイのファンで、初めて読んだ著書「みぎわに立って」から、自分が立ち上げた私設図書館の名前をとったほど。
茨城から熊本まで行っておいて、その日の目的地は橙書店しかなかった。そのためお昼ごろから夕方までずっとお店にいて(カフェ営業もしているので食事も取れる)、ゆっくりと店内の本を読みながら過ごしていた。
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その中でふと目にとまった一冊が『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理 著)だった。2023年10月にパレスチナ・イスラエル戦争が始まり(「始まり」は少しだけ語弊があるかも)、ガザのことは気になっていて、少し両者の争いの歴史も調べたりしていた。
(▲非常にわかりやすくて、たくさんおすすめしている)
少し遡って、2022年から「一般社団法人戦災復興支援センター」(通称 WDRAC:ワドラック)にボランティアの一人として関わっている。ロシア政府によるウクライナ侵攻をきっかけに立ち上がった団体で「支援する人を支援する」をコンセプトに、戦禍に巻き込まれた人をひとりの市民として支援する人たち(僕らは彼ら彼女らを「アンサングヒーロー」と呼んでいる)へ支援している。
発起人であり代表の長尾彰さんの言葉に背中を押され、僕も何かしたいと手あげた。
「いっしょにやりたい」と思う方は、声をかけてください。「自分にもできることがあって、これは他人事じゃなくて、微力だけど無力じゃなくて」という人は特に勇気を出して声をかけてください。
今年は、僕自身はなかなか時間をかけて活動に参加することができていなかったけど、メンバーがウクライナへ行って現地のボランティアに参加したり、新たに支援したいアンサングヒーローとの出会いがあった。
WDRACは「戦災復興」を志す団体であり、ロシア・ウクライナの戦争だけに目を向けているわけでない。もちろんガザで起きていることも我々の関心ごとであり、それで橙書店で『ガザとは何か』を手に取った時、これは読まねばならないと思った。買うことを決めて読み始めたが、そのまま店内のソファに座り込み、2時間弱ほどで一気に読み切ってしまった。状況を知って、パレスチナ問題への見る目が明らかに変わったことを感じた。
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「戦災復興支援の団体でボランティアとして関わっています」と口に出す度に舌の上がざらっとする感覚がある。今年も、というか昨年も、一昨年も、そう言えるほど自分は何かやったっけ?と思ってしまう。特に今年は、月2回のオンラインミーティングにもなかなか出れず、運営する私設図書館にポスターを貼り、YouTubeで公開するWDRAC radioをたまに館内のBGMにするくらいが関の山…。
そうして下がりつつあった活動に対する自己肯定感を、なんとか留めさせてくれたのが、同じく運営するシェアハウスに7月から入居した大学4年生だった。彼女の名前は「ちよりちゃん」。
いくつかのサークルを掛け持ちしてフットワークの軽い彼女は、以前から我が家に出入りする大学生の紹介で僕の前に現れ、この家を気に入り、内定していた学生寮への入寮を(4年生で入れるのなんて稀なのに!笑)蹴って、晴れて同居人となった。そんな彼女は、歴史学を専攻としながら農業に興味を持ち、そして世界情勢にも関心を抱いていた。
彼女が中心になっているサークルの活動として「文化祭で出店したい」と、ウクライナのパンケーキである「シルニキ」を友達と試作したり、その過程で県内に住むウクライナ出身の方と知り合いになって、家まで来てもらったこともある(シルニキを監修してもらっていた笑)。
この日、ちよりちゃんに紹介してもらい、その方にWDRACの活動についてお話をして「現地で活動している人で支援を必要とする方がいたら教えてほしい。きっと復興までは長い道のりだろうから、今思い当たらなくてもこういう活動をしている人たちが日本にいると知っておいてもらえたら」とお伝えすることができた。
WDRACのことをちよりちゃんに話していたことが、この小さな出逢いに繋がった感じがあった。
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もう一つ記憶によく残っている出来事がある。
ちよりちゃんが運営する別の団体で「世界の話」(セカハナ)というサークルがある。「世界情勢の話って、ニュースでは見かけるけど、難しそうで話しづらいよね。政治の話もそう。人によっては日常会話の中でそういう話題はタブーって思ってる人もいる。でも、海外の若者ってそういう話も平気でするし、本当はもっとフランクに、隣にいる人と気軽に話してもいいことなんじゃないか」という思いで立ち上がったサークルで、今はパレスチナ・イスラエルの問題を中心に話したり発信をしたりしている。
「もっと気楽に」「分からないなら知ってる人に教えてもらえばいい」「まずは知ることから」と、世界の話をするハードルを下げた場を開きたいという彼女。
ただ当時、メンバーでミーティングを開いても集まりが悪い日が多く、場づくりへの課題があった。「だったらさ、今度シェアハウスでイベントあるじゃん?そこで一緒に開催して、その場にいる人をどんどん誘ってみれば?」と提案してみたら、「え!いいね!やりたい!」といい、急いでSNSでお知らせをした。
正直なところ、イベントを抱き合わせたことによる効果はそんなになかったのだけど、勢いを得た彼女はLINEで友達に直接メッセージを送り(これがとてもいいと思った)、たまたま遊びに来ていた人も巻き込み、大学生がみんなでお菓子を食べながらガザの話をするといった場が仕上がった。
そして、この日のために「勉強したいから貸してほしい」と彼女が言ったのが僕が熊本の本屋で出会った『ガザとは何か』だった。
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この日は、「何か怖いなとは思ってるんだけど、よくは知らない」「根深い問題があるのは感じているけど、実際は何が起きているのかわかってない」という人が過半数で、勉強したり知ってる人が解説をしながら学びあう時間に。「もっと気軽に」と言いつつ、蓋を開けて話し始めたらみんなの関心が高まってきてしっかりと説明したりその場で調べたりする時間もあったほど。
最後の方には「結局自分たちに何ができるのか」という話や、政治的な行動を起こした時(例えばデモとか)に起きる「冷笑的な雰囲気」ってどうして生まれるのかという話も出てきて、その場にいあわせた僕はWDRACの話もした。
終わった後、ちよりちゃんは「今まで一番『セカハナ』っぽい!って思った!嬉しかった!」と言った。
そして僕は、これは、小さく取るに足らない僕ができることの一つだと思った。こういう取り組みをしたいと思う身近な人を、「場を開く」ということで応援することは、自分が今できることだと。
ちよりちゃんは後日、文化祭でパレスチナ・イスラエル問題についての発表と場づくりをするため、仲間と家を使って合宿みたいに準備していた。年内は卒論で大変みたいだけど、それでも活動はしっかりと続いている。
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自分の話に戻そう。
今年はこれでもかというほど、ハイライトになる出来事が多かった。
本業のサッカーコーチとしての時間に加え、
始まったばかりの古民家暮らしの整備(昨年末にDIY &シェアハウス丸ごと引越しという無謀プロジェクトを敢行した)
クラウドファンディングへの挑戦
私設図書館の立ち上げと、それに次ぐ日々の運営、
ライターとしていくつか初めての仕事をもらい、時々登壇の仕事も
そして遠距離で暮らすパートナーとの婚約と入籍、年明けの挙式披露宴の準備
目が回るような時間を過ごし、なかなか世界情勢のことやWDRACの活動に前のめりになる時間を取れなかった。関心を持ってくれるかもしれないと思った人にはWDRACのことを紹介するのだけど、ざらっとしたものは日に日に増していた。「関わってるって言っていいの?」って。
ただここは、僕がいつも気をつけないといけないところで、WDRACに貢献することよりも、問題・課題にどう向き合っていくかが本質なのだ。
そしてWDRACはメンバー全員がボランティアでかつ、きっと長く必要な活動だから「無理せず、自分にできることを」という雰囲気がある団体。
同じくメンバーの方が自分の記事で書いていた。
活動量もやることもその人次第だけど、できることをできる範囲で続けているWDRACだからこそ、私自身も関わり続けることができている。
今できることを、今できるだけ。
眼差しを向けることをやめないでいること。
それは微力だけど、無力ではなくて。
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先日、ワークショップを開いて自分の「マニフェスト」を作った。
ちよりちゃんが僕のマニフェストを読み、「いいなって思った」と言う一節がある。
自分のことを自分で決断する勇気と、あなたの選択をあなたに委ねることの尊さ、…(中略)…の価値を強く信じます
僕としてもこのマニフェストの肝になる部分だと感じ気に入っている。
そして、これはきっと自由や平和が前提にあるものだと、今になって思う。
戦争・戦争状態の社会というのは、人生の中で自分で選択するという機会をその社会の多くの人、もしかすると全ての人から奪うものなのではないかと思った。
明らかな人災である空爆で祖国からの非難を余儀なくされた人、平和であれば選び取れたはずの未来を誰かに奪われた人、一緒に暮らしたい家族と自分の意思でなく離れ離れになった人、生まれながらに劣悪な環境であるはずの選択肢を知ることもなく死んでいってしまう人。
人から選択肢を奪うのが(それも人の手によって)戦争なのであれば、自分がこれに眼差しを向け続ける理由にならないはずがないと、この文章をしたためるうちに改めて思った。
眼差しを向けて、考え続けたい。
平和とは何か。そこに向かうために、自分には何ができるのか。
少しずつでいいから、見て聞いて知って、語られる言葉を頭の中に増やしていきたい。
今年、芥川賞を受賞した九段理江さんの小説『東京都同情塔』の最後のシーンを引用してこの文章を閉じようと思う。
主人公の建築家・牧名沙羅が、自身が設計した<同情されるべき>犯罪者が幸せに暮らすタワーを「本当にこれを建てて良かったのか」と問いながら(これは僕の解釈)、雨の中見上げるシーン。彼女のイメージの中で、彼女はコンクリートで固められタワーを見上げる姿勢のまま石像として永遠に立ち続ける。
疑問符は途切れることなく私の内部を浸し続けて柱と梁を濡らすから、応答を考えなくてはいけなかった。考え続けなくてはいけないのだ。いつまで?実際にこの体が支えきれなくなるまでだ。全ての言葉を詰め込んだ頭を地面に打ち付け、天と地が逆さになるのを見るまでだ。
眼差しを向けて、考え続けなくてはいけない。
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この投稿は、戦禍に巻き込まれた人をひとりの市民として支援する人たちを支える活動をする一般社団法人戦災復興支援センター(WDRAC:ワドラック)のアドベントカレンダー2024への寄稿として書きました。
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