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あの、トミダイだって。/ 長尾彰×冨田大介のはなし#1

本当に失礼なことに、僕はその「元サッカー選手」の名前を、つい最近知ったのだ。

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水戸にはトミダイがいる

もう少し細かくいうと、水戸ホーリーホックには冨田大介がいる、となる。

筑波大学を卒業後、水戸ホーリーホックでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせたトミダイは、41歳になった2018シーズンを最後に、出発の地、水戸ホーリーホックで19年間のプロ生活の幕を引いた。

そして同時に、水戸ホーリーホックでクラブリレーションコーディネーター(CRC)という新たなポジションに就き、次のキャリアを歩み始めた。

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何度も壁にぶつかってきた

大卒で入団して、年俸0円から始まったプロ生活。それでもプロになったからにはと、目標は「日本代表」。その目標があれば、お金がないのは苦じゃなかった。とはいえ当然ながら、何度も、何度も、プロの世界の高い壁にぶつかる。

「自分の強みだと思っていたものが通用しなかった。そういう壁にぶつかるたびに、それを越えていくための武器をひとつひとつ身に着けていった。」

プロとしてやっていける手応えは、いつ頃感じるようになった?

「すごく自信を持てたという感じはなかった。でも、やれてるな、という感じはあった。」

自分のキャリアを”ゼロどころか、マイナスから始まった”と語る謙虚さと、着実に壁を越えてきた自負が入り混じった、率直な回答だった。

往々にして、壁を越えていくことには苦しさが伴う。自身が「選手としていい状態だった」と語る、J1で活躍した大宮アルディージャ時代でさえ、その苦しさに涙をこぼしたことがある。当時、監督が変わったことで自分が強みとしていた守備力だけでは評価されないことが突き付けられ、ネックだった攻撃力が求められた。

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その頃のある練習試合が、500試合以上のキャリアの中で最も記憶に残る試合のひとつだという。

「うまくいかない中でどこか不貞腐れながらプレーしている自分がいて、家に帰ってから自分に対して情けなさが溢れて…。ひとりで泣いてしまったんですよね。」

好きなことを仕事にするというのは”楽しい”が、決して”ラク”ではない。「ここを越せないと、もう自分は終わっていくな。」そんな危機感と常に隣りあわせだ。

ただ彼はこの状況を、「これはサインだ」と捉えた。サッカーへの取り組み方から私生活まで、すべてを試行錯誤しながら変えていった。もちろん迷うこともあっただろう。だがその壁を越えた先には、充実したキャリアハイがあった。


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前例のない、新しい仕事

その後いくつかのクラブを渡り歩いたのち、プロのキャリアをスタートさせた水戸ホーリーホックへ、最後の移籍をした。2018年、舞台はJ2になっていた。

ラストシーズンとなったこの年の天皇杯で、J1王者の川崎フロンターレを相手に決めた劇的同点弾は、サポーターの記憶に深く残っている。一方で、J2での出場記録は0だった。


契約満了からしばらく経って、現役引退とともに発表されたのがクラブリレーションコーディネーター(CRC)への就任だった。クラブから課されたミッションは、元選手としての”外からの目線”をもって、”内からクラブを見る”ことのみ。実務としては伝えられていない。さらに言えばCRCには前例もない。クラブとしてもないし、それどころか「クラブリレーションコーディネーター」と検索をかけると冨田大介と水戸ホーリーホックの文字が並ぶ。


これから、どんなことにチャレンジしたい?

この問いに、まだ明確な答えはない。
「ひとりじゃなくて、みんなでやっていきたい」
「クラブや地域、社会の役に立つことをしたい」

という想いはあるが、何ができるか、何にチャレンジしたいかは、まさに今考えているところだという。「モラトリアム的な時間でもあると思っている」と語る43歳は迷いながらも自分を掘り下げて、サッカー選手よりもさらに前例も正解も見えない場所で、”自分で考えて”進もうとしている。

ピッチの上でパスを繋いできたトミダイが、きっとこれから選手とチームを、クラブと地域を、サッカーと社会を、人と人とを繋いでいくのだ。


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あのトミダイだって

まるで音が聞こえるかのように、社会が形を変えつつある。そんな春に、僕は学生から社会人になった。仕事は子どもたちのサッカーコーチ。しかしコーチとしての最初の1年が、在宅ワークから始まるとは思いもしなかった。

自分が一番好きなことで仕事に就いたはずが、それが思うようにできない。変化する社会の中で、自分の存在価値を見失うような感覚がつきまとう。期待と不安が入り混じる新生活が始まる予定だったが、今の生活は思い描いていたそれとは違った顔をしている。

先の見通しを立てるのが難しい世の中で、同じように不安を抱える人は多いのではないだろうか。僕と同じ新社会人、進学した先で学校に通えない学生、これから進路や人生を考える若者にとっても、この状況は苦しい。誰しも迷って、悩んで、待ち構えるどころかむしろ迫りくるような高い壁に焦りを覚えてしまう。そして、そんな自分がどうしても非力に思えてしまう。


若い人たちに伝えたい事・期待していることは?

自分の後ろにできた道を振り返って、彼はこう答える。

「自分自身のこだわりや価値観を大事にしながらも、時にそれを疑うこと」
「自分の芯は持ちながら、人の話を聞いたり柔軟さをもつこと」

最後に、「こだわりをこだわらない…みたいな」と少し曖昧に付け加えた。一見どっちつかずにも思える。聞いた僕らの悩みはまた増えそうだ。「そのいい塩梅を教えてほしいんだよ」とも思うけど、何度もその足で壁を越えてきたからこそ見えてくるものなかもしれない。そして彼自身すら、その感覚をこの先も模索していくように見える。


一度進んでしまった社会が元の世界に戻ることは少ない。自動車が普及したいま、馬車が公道を行き交うことはないし、もう僕らはスマホもPCもない生活に戻ることはできない。サッカーだってそうで、お団子サッカーを卒業してポジションにつくことを覚えた子どもたちは、もうあんなにボールに群がりはしないだろう。

これまで経験してきたよりもずっと速く、そして大きく変わる可能性があるこれからの社会で、不安や迷いを抱くことは普通のことだ。問題じゃない。そういう壁と向き合って、自分で考えて、ひとつひとつ、どうにかして越えていけばいい。

世界も時間も同じ方向にしか進まないなら、僕らも進んでいくんだ。トミダイがしてきたみたいに。いや、その彼もまさにいま、これからどう進むかを考えているらしい。なんだ、僕らは同じなんだ。


そうだ。

あのトミダイだって、何度も壁にぶつかって、苦しんで、迷って、時には涙をこぼした。ピッチから果敢なプレーで勇気を与えてくれた、あのトミダイだってそうだった。僕が迷うのだって、別にいいじゃないか。

そんな自分を認めて、けれどちゃんと”自分で考えて”、少しずつ、少しずつでも前に進めればい。彼が壁にぶつかるたびにそうしてきたように。

彼はきっとこれから先も、新しい舞台をそうやって進んでいく。

だから僕も、僕らも、そのまま進むんだ。先が見えなくて、正解がなくて、まだ迷いがあったとしても。

それでいいんだ。


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ところで、彼がこれから進む道を探っていった際、”青春”について思い至ったという。

「人生って一生青春なんじゃないかと思っていて、青春って何だろうって思った時に、僕は…」

いまの自分にとって、青春って何だろう。それは、やっぱり自分で考えることなんだろう。あのトミダイだってそうしてきたように。









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このnoteは、水戸ホーリーホックの「クラブリレーションコーディネーター」である冨田大介氏(通称トミダイ)と、「組織開発ファシリテーター」の肩書で様々な企業やスポーツチームに関わる長尾彰氏(通称アキラ)の対談から、自分が感じたことを書いてくれとのお話をいただいて執筆しました。

長尾さん曰く「両者に共通しているのは『何をしているのかよくわからないが、なんとなく大事な仕事でいろいろな仕事をしているようだ』ということ」でこの対談を思いついたとこのこと。そんな思いつきとなりゆきによって、すごいスピードで企画が進みました。

声をかけていただいたご縁に感謝しています。

また冨田大介さんと同じクラブでサッカー指導者としてのキャリアを始められたことを幸運に思っています。



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2本目

あとがき





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板谷隼(Hayabusa Itaya)
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