第3話 マジョリティ、マイノリティとコミュニティ

前回は、いろいろな意味合い、文脈、対象について言われる「コミュニティ」について、僕なりに分類してみました。今回は、前回の分類を踏まえつつ「マジョリティ」「マイノリティ」という視点から、それぞれのコミュニティの違いについて考えてみたいと思います。

まず最初に、「マジョリティ」「マイノリティ」という言葉の意味について、考えてみたいと思います。みなさんは、「マジョリティ」「マイノリティ」というと、どういうイメージ、意味を思い浮かべますか?

「LGBT」はマイノリティですか?「女性」はマイノリティですか?「イチロー選手」はマイノリティですか?「左利き」は?「一般市民」は?「奴隷」は?「お金持ち」は?「貧乏人」は?「専業主婦」は?

以下は、参考情報として Wikipedia の説明ページへのリンクです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マジョリティ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/社会的少数者

以前から、「マジョリティ」「マイノリティ」という言葉に関して、気になっていることがあります。それは、人数の多い少ないという意味と、立場が強い弱いという意味が暗黙的に(?)ミックスされて使用されているケースをよく見かける、ということです。

確かに、多数派→強い、少数派→弱い、という図式が成り立つケースが多い、ということはあると思いますが、必ずしもそれだけではありませんよね。江戸時代でいえば、百姓が多数派であったわけですが、武士より立場が強かったわけではなかったわけです。

個人的に、これは、マジョリティ、マイノリティの問題を考える時に問題のフォーカスがぼやけてしまうので、問題ではないかと感じています。

みなさんは、「少数派でかつ立場が強い」人、例えば会社の社長は、マイノリティだとおもいますか?それともマジョリティだとおもいますか?(社員(従業員)がいない会社もあると思うので、ちょっと例がイマイチでしたね。。)

というわけで、ここでは、「人数の多い少ない」という意味合いのみで、この言葉を使っていきたいとおもいます。

さて、「マジョリティ」と「マイノリティ」の定義について考えたところで、次に、前回パターン2としたネット時代のコミュニティについて、マイノリティからマジョリティへの流れ、という側面から捉えてみたいと思います。

また、イノベーター理論もここで合わせて考えてみたいと思います。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/流行

イノベーター理論では、
イノベーターは 2.5%
アーリーアダプターは 13.5%
アーリーマジョリティは 34.0%(イノベーターからここまで合計で50.0%)
レイトマジョリティは 34.0%
ラガードは 16.0%

ということになっています。これを前提にして、大雑把に考えてみると、

・イノベーターはかなりのマイノリティ(時には変人扱いされるぐらい)
・イノベーターもマイノリティ(新しモノ好き、人と違うことをするのが好き)
・アーリーマジョリティまできて、ついにマイノリティからマジョリティにひっく
り返る!
・アーリー&レイトマジョリティは、「ふつうの人」
・ラガードも、方向性は逆ですが、イノベーター、アーリーアダプターと同じくマイノリティ。

ということがいえるかとおもいます。

ここでポイントは、ひとつのことが普及していく流れの中でそれぞれの人がマイノリティになったり、マジョリティになったりと変化していく、ということです。

例として、スマートフォンについて考えると、2019年現在、スマートフォンを持つことは、マジョリティです。しかし、当然ながら、最初はマジョリティだったわけではく、だんだん使う人が増えてきて、ある日、マイノリティからマジョリティにひっくりかえったわけです。

その流れの中で、ラガードのひとは、マジョリティからマイノリティになったり、アーリーアダプターの人は、もしかすると、人とは違うことがしたくなって、スマートフォンを持ちたくなくなるかもしれません。イノベーターの人は、普通の人に対応するために、イケてない機能がついたり、ルールができたり、へんなことでもめたり社会問題になったりして、もともとも対象物が持つ本質的なこと以外のことがごちゃごちゃと出てきて煩わされるようになって、うんざりして去って行くかも知れません。

では、ここまでの考え方を、コミュニティにあてはめてかんがえてみたいと思います。

まず、2ー1のコミュニティが生まれました。最初は、相当なマイノリティが、地味にコミュニティ活動をする時代がありました。

次に2ー2のコミュニティが生まれました。我が道を行くイノベーターと異なり
アーリーアダプターは、どんどん周りにアピールして、拡大路線を志向します。

そして、2ー3のコミュニティの流れが生まれつつあります。少し余談になりますが、ネットの世界は、2019年時点では、既存メディア(例えばテレビ)と比較して、まだマイナーな存在と思いますが、そろそろ、ひっくり返りそうな勢いを感じます。なお、ここでいうひっくり返るとは、テレビの人気番組に出演するのと、ネットですごく話題になることをするのの、どちらが世間一般に認知されるか、という意味合いになります。また、これは、テレビという情報伝達プラットフォームと、インターネットという情報伝達プラットフォームの機能的な差異というよりは、過去からの歴史的経緯による、現時点での、それぞれのメディアが産み出すコンテンツの特性によるものです。なので、これがひっくり返った後、相対的に力が弱くなる既存メディアと、相対的に力を持つネットメディアで、人材や富の移動が行われ、その結果、改めてそれぞれのメディアのプラットフォームのハード面などの特性に合わせ、最適化された形でコンテンツが生まれるようになるのではないか、と思います。そういう意味では、単に「ネットがテレビを殺す」といった単純な話でもないと思います。

少し話がそれました。戻って話を続けると、ネット(SNS)&スマホの時代、そしてマジョリティになったコミュニティについて、さまざまなビジネスの可能性(企業のサービスをベースにしたコミュニティ、コワーキングスペースをベースにしたコミュニティ、特定の人をベースに、その人のファンを対象としたコミュニティなど)が生まれ、ビジネスの手段としてコミュニティに関わってくるようになることで、2ー4のコミュニティが生まれてきているように思います。とはいえ、2019年現在、SNS&スマホはまだしも、コミュニティは、まだまだマジョリティとはなっていないように感じています。このあたりは、まだまだこれから、という感じではないかと思います

さて、今回は、「マイノリティ、マジョリティとコミュニティ」というテーマでした。このテーマは、さらに「多様性は善?」「マイノリティの幸せとマジョリティの幸せ、社会はどちらを優先すべき?」「多数決による意思決定システム(=民主主義?)はマイノリティにとって不利?」といった、さまざまな問いが生まれてくるのではないかと思いますが、考え出すときりがないので、とりあえず今回はここまでにします。


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