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2022年4月1日 本日。
私にとっての夢への一歩目となるジュニアユース設立プロジェクトの発表をさせて頂きました。


それに伴い、なぜ一教員である私がこのようなことを始めたかなどを本日は説明させて頂けたらとおもいます。
とても長いですが、
少し、お付き合いをお願いします。
(見たら絶対後悔しません!笑)

突然ですが、皆さんには夢がありますか?

私には何がなんでも叶えたい夢があります。

「フットボール文化・フットボールタウン」

を築くという夢です。

いやいや抽象的すぎだろ。とツッコミのお声を頂きそうなのでこれは最後までノートをみてください。笑

まず初めに、この夢に至った経緯からお話しさせてください。

私には大学3年生まで、絶対に叶えたい夢がありました。
しかし、突然にもその夢は奪われ、諦めることとなりました。

「前十字靭帯断裂」
大学3年の2月、練習中に大怪我を負うこととなり、
全治一年近くかかるこの怪我は、私が夢を諦めるための十分すぎる理由でした。

小学生の頃の卒業アルバムには「FCバルセロナに入団」と書かれていたのにも関わらず、歳を重ねる毎に逃れられない現実と向き合わなければいけない時期を迎え、いつしか「FCバルセロナに入団」という夢から「Jリーガー」という夢になり、そして怪我を理由に夢を諦めることとなりました。
諦めるというよりは、「お前じゃ無理だろ」という世間の評価から逃げたという表現の方が近いかもしれません。

大学4年生の2月。
隼斗少年の夢と決別をするためにスペインへ行きました。
そこで私は衝撃の光景を目にし、私の夢の原点となります。
当時、私がスペインへ行った際、バルセロナの街はエスパニョール独立のデモが行われていてバルセロナの中心街では昼間イエローリボンをつけたエスパーニャの人々で溢れかえっていました。
そのデモは、昼から夕方まで続くわけですが、
夕方暮れ。
突如、デモを行なっていた人々が消えます。

ここで問題です。
このデモを行なっていた人々はどこに消えたと思いますか?

そうです。正解です。

なんと、デモが終わるとカンプノウ(バルセロナのホームスタジアム)に移動を始めるんです。(もちろん全員じゃないですよ)

さっきまでエスパニョール独立のデモを行っていたこともなんのその。
オラが街のクラブを応援にいく熱さ。
また、バルセロナというクラブも、そういった人たちのがんばれる理由になっているのだと実感しました。

応援にいくのも簡単なことではありません。
スペインの平均所得って実は日本と遜色がないことをご存じですか?
(以下参照。2021年のデータ)

平均所得が変わらない国ではあるのですが、
このバルセロナの1試合のチケットいくらすると思いますか?
(Jリーグだと大体が2000円ぐらいです。)

僕がとった席は25,000円でした。
VlP席でもなんでもありません。
コーナーキック辺りの席です。

1週間に大体2試合をこなすので1ヶ月で8試合。
ホームゲームがそのうちの4試合ならば月に10万円かかる計算です。

みなさんだったらどうしますか?
おそらく今の給料から月に10万無くなると生活に支障をきたすため、行っても月に1回しか行かないと思います。
バルセロナの人々は、
バルセロナの美しいフットボールを観るために、
バルセロナというクラブを応援するために、月に10万ほどの出費を厭わず、その楽しみを余暇とし、原動力とし生きているのです。

めちゃくちゃ熱くないですか?

生きるために稼ぐのではなく、
人生を楽しむために稼ぐ。

私にはそうみえました。

また、バルセロナの街から外れた公園では大人、子供関係なくフットボールが繰り広げられ、
古びた人工芝のグラウンドでは小さな子供たちの練習が始まったとみれば、近所のおじいさんやおばあさんが応援に駆けつけ、街の飲食店ではどこの店に入ってもバルセロナの試合が放送されてあったり、バルセロナだけに限らず常にフットボールが放送されているなど、フットボールが生活の一部になっている環境がスペインにはありました。

「これだ」

だれかの頑張る源が、仕事をがんばる源が、
週末の楽しみが、フットボールでありたい。
そんな環境を文化をつくりたい。

そんな光景をイメージしてみてください。
私からしてみたら鼻血です。

自分の夢と決別をするために行った地は、
決別と同時に新しい夢を授けてくれました。
隼斗少年が思い描いたFCバルセロナに入団という夢は自らが逃げたことで無くなってしまいましたが、
次は自分が全てをかけてでも、
この夢の環境を作りたいという夢ができました。

夢があるって実は幸せなんじゃないかな。と
最近思います。
「夢を持て」と人々は言いますが、
夢は持ちたいと思って持つものではなく、
自然と目指したいと思えるようなものに
自分の心が出会えるかどうかだからです。

私はたまたま行動を起こしたことで
「夢」を持つことができました。

とはいっても、もちろん簡単なことではありません。
文化や、街づくりなんてものは1人の力で変えることなんてできません。
ましてや、私みたいな影響力の欠片もないようなやつが行動を起こそうがなんら変わりません。
「どうせ無理だろ」
「教員なら教員らしくしてろ」
「教員がそんなことするのはおかしいだろ」
なんてことも今回のジュニアユース設立にあたり
バッシングを受けました。
もちろん仰る通りでございます。
ぐうの音もでません。

多分僕は異端なんです。普通じゃないんです。
普通が嫌なんです。安定が嫌いです。
何かに挑戦してないと落ち着かないんです。
多様な価値観を認めよう。であったり
国も、「働き方改革」と謳い
シフトしてきてはいますが、
どうもこの職業だけは何か煙たがられます。

でも私は本気です。
将来的にはちょっとした競技場を作り
そこで、リーグ戦やフェスティバルを行えるようにし、地域の方達や、県外の人たちがサッカーを観戦に訪れ、そこの競技場を複合型施設にすることでカフェやアパレルショップなどを併設し、フットボール以外での集まれる場や雇用を生み出したいと考えています。
人々の活力になることができれば労働意欲の向上により生産性も上がり、雇用を生むことができれば地域創生にもつながると本気で考えています。

そのためには、高校、ジュニアユースで
結果を残すことがmustです。
私が影響力をつけなくてはいけません。

サッカーから沢山のことを学び、
サッカーを続けていく過程で
沢山の方と出会うことができ、
その出会いが、今の私を形成してくれています。
なので、サッカーから与えてもらった恩返しは、
やはり、サッカーでしか返すことができません。
十分すぎるぐらい、いい思いをしてきました。
フットボール文化が根づけば、沢山の子どもたちや
大人たちにも「夢」を与えられると信じています。
夢をもつことで幸福につながると信じています。

子どもたちに「夢」を与えられるプロサッカー選手は、キラキラしていて私にとっては憧れでしたが、「夢」を与えるという新しい形を今回ようやくみつけることができました。
フットボールに「夢」を与えてもらった少年が
次はフットボールで「夢」を与える大人へと
成長した一つのストーリーでした。

叩かれても踏み潰されても何度でも立ち上がり
突き進みます!!

ドラゴンボールの悟空の言葉を、お借りし今回のnoteの締めとさせて頂きます。
「オラわくわくすっぞ」

長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
少しでも共感して頂ける方がいましたら、
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