『ママ、おやすみのキスを』

それはおまえの本当の母親ではない、と告げると彼は薄く笑った。
強いて言えば私を憐れんだような笑顔だった。

「そんなの、知ってるよ」

彼は死体を見つめながら答え、私は無言だった。
存在しない記憶が巣食っている。生まれたばかりの彼を抱く感触。まるで精巧な彫刻のような、まだ一度も欠けたことのない小さい爪がわたしの指にあたる。くあ、と鳴き声のような吐息。その、乳くさい体のにおい。私に移植された、わたしの幸福の記憶。
私は、まだ「私」でいなければならない。

目をつぶり、まだ七歳になったばかりの彼の頬を強く打擲した。倒れてもう二度と動かない女を傷つけまいとしたのだろう。よろめいたが彼は女の死骸を踏むことを避けた。やさしい子だ。

『倫理機構、六階層までの実績アンロック』

「後悔」の実績を解除して、私のソフトウェアがまたひとつ更新される。
目の前の子供を苦しめ、痛めつけるほどに「私」の自我は強化される。愛する子に、こんなことはしたくない。しかし、彼を庇護すればするほど、私は「私」ではなくなってゆく。
はたして人なのか、機械なのか。知的活動のログを見るなら、私は彼よりはるかに歴が浅い。生体部品だけで作られた柔らかな機械ソフトマシーンである私に、無断で随時インストールされてゆく記憶の数々。彼を守るために、過去のわたしが何体もの私を作った。
私と同じ顔の死骸が虚ろな目で見上げている。彼を庇って私に殺された女。ねえ、泣いてるの、と彼が呟く。わたしはしゃがみ込み、私が殴った直後の彼を抱きしめる。

『情動機構、二階層アンロック。NS領域へのゲート開放』

また新しい記憶が解除される。わたしはひと動作ごとに記憶を取り戻す。あるいは私を喪ってゆく。私はわが子の幾分扁平な後頭部と、すんなりした髪を撫でて涙をぬぐった。彼を愛しているが、私は最低の母親だ。

私は、この発狂した海底都市で無限に生産され続けるわたしを止めなければならない。

【続く】

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