カテゴライザー
ご存知の方も多いが僕はカテゴライザーだ。レッテル貼りの魔神だ。断裁と切り貼りのコラージュ二ストで二面性のデジタル悪魔と呼ばれて久しい。御守りは片面に傷の入った両面表のコインだし、新しいドラクエはビアンカとフローラの他に選択肢が出来たことが許せず買っていない。
というのを前置きにしてようやく語れるのが人を嫌う話。
色々と後悔する体験があって、自分がその人をどの程度嫌いなのか、どの程度まで食らわしてやろうと思っているのかを測るため、僕は自分の感情と衝動をカテゴライズすることに決めている。やりすぎないように。または、為すべき時にきちんと体が動くように。
僕は自分のことを「中身のない箱のようなもの」だと考えている。
中国語の部屋だ。まさしく僕は自分のことを部屋そのものだと思う。中の英国人ではない。中の英国人は、時折ハチェットで部屋を叩き壊して出て来るが、それはただの僕の本性ではあって僕のすべてではない。僕は僕の本性を飼いならすために生きているし、僕の本性は僕の調教と抑圧を跳ね除ける機会を伺っている。
この文章を書いているのは、外側の、箱としての僕だ。僕は箱だ。
例えに倣うなら、差し入れられた札に何を書き足すのか、自分で決めなければならないことを面倒だなあと感じている。
僕は、箱の中にいる僕のためにマニュアルを書く。マニュアルにないことに直面すると、箱の中の僕は混乱する。混乱しすぎると、フランチェスカで箱を叩き壊して出てきてしまう。だから箱である僕は、たくさんの本を読んでサンプリングし、あるいは日々出会う出来事をカテゴライズして、無限にも思えるマニュアルを書き続ける。
そんな僕は、自分が「人を嫌う」ということを細かく規定する。
人に対しての「嫌い」を、しばしば僕は沼と崖に例える。
レベル5より上のほうは、いわゆる社会的動物という立場で、自分がペナルティを課せられるかどうかを判断基準の重要点として組み込んでいる。憎しみとか悪意とかそのあたりのアレが、社会性の壁を越えるまでのハードルは相当高くていいと思う。
これは、本能と衝動を飼い慣らそうとする理性の仕事。殺さんで済むなら、それは一緒にいられるということ。嫌いでも一緒にいられる可能性は残っている。
ま、機会が巡って来ると殺しちゃうので問題のある関係だとは思うけれど。
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