逆噴射小説大賞2022 ハクゾースチャンピックアップ(してないけど1.5)

ごきげんよう、皆様!
ピックアップの続き、と言いたいんですが折角だから全部読んでからやろうかなと思ってます。しばらく時間があるので、行けそうな気もしてます。駄目だったら読んだとこまでで(2)やります。

というわけで今日は、前回の記事に少し反響があって、物語論というか文章論の域に少し入るかなあという補足を書きます。

おさらいとして、わたしがつらつら逆噴射小説大賞に向けて書いていることのほとんどは、「逆噴射小説大賞に通用するためのtips」ではないです。ずばっと一行で言い切るのは難しいですが、「次を読みたくなる小説」をつくる要素のことをいつも考えています。
そして、この800字のエントリーというミニマムなモデルで考えることが、5000字、1万字、10万字という長いものを書いていくうえでの指針にもなるんじゃないかなあということも考えています。

踏まえて、「フックがあるか」ということ。前回のエントリーでも触れましたが「続きを読ませる」ということ。その中でも「オチてない」「書ききっていない」「意識を次のページに向けさせる」について書こうと思います。

ひとつめ。文章はなんのためにあるか

すごく最初のとこから行きます。文章は何のためにあるか。シンプルには意味を伝えるためにありますね。
小説やらなんやらの面白さとして大きいものの一つは、一つの文章が、その文だけではなく別の文章のアシストをしたり、意味を付加したり、いろいろしていくところかなと思います。

あんまりいい作法ではないですが、ちょっと単純なモチーフで書きます。もし誰かの作に出て来た要素とかぶっていたとしてもそれは本当に偶然なので許してください。

序盤、「弟の形見の工具は何の役にも立たなかった」という文章があったとします。これ自体にはあまり意味はないです。形見の工具がどんな形だったのか、なぜ役に立たなかったのか、そういう疑問は想起させますが、特に重要な文ではないです。

例えば後段、洞窟の奥、どうしても手の届かない隙間に落としたものを拾うときにそれが役に立ったとしたらどうでしょうか。
あるいは、その工具以外ではまったく通用しない未知の装置が出てきたらどうでしょうか。

この時、最初に記述された「弟の形見」という要素は有機的に繋がり、別の意味が孵化します。
何の役にも立たなかったはずのものをいつも持ち歩いていたのか、という「どこにも書かれていない情報」を読み取って、主人公の弟に対する思いを想起する人もいるでしょう。後者のケースでは、未知の装置と死んだはずの弟の関係についての推測が嫌でも想起されると思います。

これらを「伏線」と呼ぶには少し乱暴な気もしますが、まあ伏線の一種です。もちろん、小説には「どこにも接続しない冗長な描写」を許容する懐があります。
ふと窓の外に見えた風景が描かれたからといって、その風景をのちのシーンで回収しなければならないなんてことはありません。ここでわたしが言いたいことは、文章のつながりというのは単一の関係だけではなく、積層によって際限なく濃くなるということです。

色々な要素がラストのギミックのために積み重ねられた技巧的な物語もあります。それは長くなればなるほど、ため息が出るほど美しい構成です。物語にはいくつかの型がありますが、最高のラストシーンから逆算で構成された物語にはそのような構造をしているものがよくあります。

要素をどういうスパンで組み込んでいくのかというのは、ひとつの構成論と言ってもよいかもしれません。そして、それを800字の中にどのように落としこんでゆくかという話です。

ふたつめ。物語の中の「不可解」「未解決」について

これは800字しか書いてはいけない、そして、【続く】で終わること、というレギュレーションが生んだ特殊なポイントかもしれません。
ひとつめで触れた「文」という要素です。
これらが800字という短い箱の中では、一旦役目を終えているか、それとも未解決のまま接続先を探しているかということを比較的明確に判定することが出来てしまうという話ですね。
これは攻略記事ではない、ということをくどいようですが書いておきます。これはあくまでも「次のページを読んでみたい」という欲求を分解したときにどんな要素になるのかということを考えた一つの意見でしかありません。

前回触れた通り、それは「作者の文章をもっと読んでみたい」とは区別されるべきと思います。
厳密に文章自体の魅力と構成の魅力は分解できないものではありますが、ここでは要素として分解可能なものとして扱います。
つまり、わたしがここで書くのはあなたがたがいつか固有に発現させるであろうユニークスキルの話ではなく、理性によって身につけることのできる「作法」「術理」の話です。

物語の構成要素として一般には、世界(舞台)、キャラクター、事件があります。そして、それらは単純に味わいのあるものとしても使われますが、ほとんどの物語は一行目から最終行までをつかって、それらの要素のうちのどれかが変化すること(あるいは変化しないこと)を描きます。

人間は生来、段落や解決を望む性分があるものですから、この一連の変化を見届けることを、基本的には好みます。逆説的に考えると、この輪がきちんと閉じて線が繋がらない限り、「どうなったんだろう」と気になってしまうんですね。

もちろんこれがすべてとは申しませんが、「不可解」「謎」「未解決」のものをひとつ、用意しておくというのは「次を読みたい」という欲求をきわめて強く想起させうるフックになるという話です。

みっつめ。中毒性のあるゲームとその設計について

中毒性のあるゲームというのは、大抵三層くらいの構造になっています。そしてそれぞれの切れ目というものを意図的にずらして「やめ時」というものを失わせていく設計になっています。おっそろしいですね。

モンスターハンターなんてかなりシステマティックな構造です。
プレイヤーは魔獣と戦闘をして、やっつけた敵から手に入るアイテムで武器やら防具を作る。できたものを試すために、新しい戦闘をする。やがて既存の武器やら防具では倒すのが大変な新しい敵が現れる。新しい敵からは新しいアイテムが手に入る。より強い武器やら防具が作れるようになる。
これは螺旋構造として、同じことの繰り返しではありますが戦闘の味付けやらフレーバーとしての物語の付加、利用できる施設のアンロックや作れる武器や防具のアップグレードによって、プレーヤーは楽しく中毒になっていきます。

このあたりの楽しさに引き込むためのものが体験版です。800字というのは、ゲームでいうところの体験版です。800字でどのようなヒキを作るかというのは、どのくらいまで体験させると製品版の購入に繋がるのか、という話と構造が同じなんですね。

ちなみにここでの不正解は、「全部やり切った」という体験を与えてしまうことです。体験版だけで満足しちゃうなら製品版買わなくてもいいでしょ。繰り返し体験版で遊ぶよ。不満が残るとか一切の楽しさを味わう前にブツ切れになっちゃうのも困るけど、体験版だけで満足させちゃいけないんです。
わたくしが前回のピックアップで申し上げたのは、このあたりのことです。「製品版としての大正解」は「体験版の完全不正解」なんだって話なんですね。

まあ、でも、製品版の大正解、つまり「やり切った」という体験を満喫しきったユーザーも、同じタイトルのパート2が発売されたら買うでしょ。だから、体験版で完結するクエストがあるからといって即座に不正解という訳ではないんです。
「続きを遊んだら、もっと面白いんだろうな」という具体的な想像をどれだけ引き出せるか、という話なんです。

ふまえて。

オチてる、というのは、作中の魅力的な文章が示す先、関係する事柄が800字の中に描かれて、物語の輪が閉じてしまっているということです。

モンハンの例で大変アレなんですが、「最初のモンスターを苦労してやっつけた!つづく!」が「オチてる」の例だとすると、「最初のモンスターをやっつけたらお腹から出てくるはずのない謎の機械が出て来た!つづく!」が「オチてない」です。あるいは、「やっつけたモンスターに変身しちゃう呪いをかけられてたけどそれに気付かず最初のモンスターをやっつけた!つづく!」も「オチてない」です。

まあわたくしガバだし審査員ではないから、厳密に審査してるわけではないんですが、あと一個要素があれば!というのはそんな感じの意味です。

あ。ごはん。
という訳で続きはまた今度ー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?