『口が災いの門』
紺の性格は、ハチャメチャに悪い。
急にダイエットを始めた理由を聞くと「指差して罵ってやりたいクソデブが居てさ」と、例のびっしり生えた白い歯を見せて、にん、と笑うのだ。
折角だからまずガチビキに腹筋割って、デブが何一つ言い返せないようにしてからやりたくてさ。
丁度、ひと月後のことだ。予定通り彼女は『ムカつくクソデブ』の前でTシャツを捲り上げ、その芸術品みたいなシックスパックを見せつけながら中指を立てて罵りまくったのだが、残念なことにデブは日本語があまり得意ではなかった。
次に紺はアラビア語を猛勉強した。さらにふた月後、心を込めた自分の言葉を使って、殺し合いに発展する罵倒をやってのけた。
わたしはアラビア語がさっぱり分からないので横で見ていただけだったが、一緒に見物していた人からは、あんな酷いこと言える人カタールでも見たことないよと聞いた。
このときに紺が殺し損ねたクソデブが物事の発端だったと言ってもいい。
ひいひい言いながらデブが鞄から取り出したのは、拳銃ではなくオイルランプと猿の左手だった。デブは自分の脂と鼻血で汚れたランプを、同じく小汚い猿の手で擦った。
正確にはその後、呪文みたいなものを叫ぼうとするデブの口に爪先を喰らわせて海に蹴り落としながら、紺がアラビア語で何かを喚いたのが発端だ。
空は不気味に曇り、そして海上都市は身震いするように大きく震えた。
ランプからは、どろっとした赤黒い液体がこぼれ、猿の手はデブが取り出した時とは段違いに萎びていた。今、なんて言ったの、と訊ねると紺は汗と返り血で汚れた爽やかな顔で「地獄でメスのイカとでもファックしてろ、みたいなこと」と笑った。
「地獄」
わたしが繰り返すと海が真っ黒になって割れた。
「メスのイカ」
海の裂け目から、巨大なイカみたいな化け物が名状し難い唸り声を上げながら海上都市のシャフトに触手を伸ばした。
「ファック!!」
最後にもう一度叫んだのは紺だった。
【続く】