狼と犬
美しい狼を見た。
1891年7月4日 清 盛京
路地裏で急に襲い掛かってきたその薄汚い何かはあまりにも素早く、俺は自分が訓練された軍人なんかじゃなく太った豚だってことを理解する。そいつの構えた刃物が俺の喉笛を少しかすめる瞬間そいつを取り押さえ、じたばたと暴れる相手を確認する。子供だった。小さな少女。こんな小さな子が俺を。殺す寸前だった。
「落ち着け」俺の拙い中国語が伝わるかどうか分からないが話しかける。俺の首から生温い液体が滴る。出血している。
「はなせ」少女に言われて俺はこの子の握りしめていた刃物を奪い取る。解放する。少し距離を取る。
「金が欲しいのか?腹が減ってるのか?」言ってから俺はバカな質問をしたものだと思う。お人好しにも程がある。捕まえて突き出してやればいいものを、施そうというつもりでいる。そんな俺のぬるさを見てとったのか、少女は逃げ出そうとする。追いかけて捕まえる。手を噛まれる。子供の小さな歯が刺さってひどく痛い。無理やり引き剥がしたいがためらってしまう。あんまり躊躇っていると指の二、三本は食いちぎられそうだ。
「雇われて、みないか」咄嗟に思いついて喋る。噛むのを止めてくれるのを期待したわけじゃなく、この少女の身のこなしを見て思いついた。
「は?」予想しなかった言葉をかけられて少女は口を開く。脈はあるんじゃないか?
もう一度少女を解放して、今度は逃げ出されないくらいの距離で、先ほど少女から奪った小ぶりのナイフを返してから座り込む。
「いい仕事があるんだ」
「……どんな」
話を聞いてもらえそうだ。
「さっき君が俺にしようとしたことをやればいい。外国人を襲って金目の物を奪え」
「……あんたは強盗?」
「ちがう。強盗はこんなに優しくない」
「……うん」
「たとえば金目のものじゃなくてもいい。懐に入った手紙なんかは俺が高く買う、どうだ?」
「よくわからない、何をさせたい?」
「人を殺す仕事だ」
(続く)
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