リアリストとリベラリストの役割
リアリスト(現実主義者・保守派)とリベラリスト(理想主義者・革新派)。
2者は対立概念として用いられるが、実際には2者が協働することで社会は発展してきた。
「想像の共同体」という概念
人類史に目を向けてみると、いつの時代も人類は何らかの共同体に帰属してきた。
共同体の構成員は文化を共有し、歴史観を共有し、他の構成員が感じる痛みを共有してきた。
このようなコミュニティは「想像の共同体」と定義され、同じアイデンティティを有する人々が協力し合うことによって租税制度や社会保障・常備軍といった概念の実現を可能にしてきた。これにより、人々は生存権をはじめとする基本的人権の保障された社会生活を営めるようになったのである。
さて、「想像の共同体」は長い年月をかけてその範囲を広げてきたように思える。
原始における「想像の共同体」は家族や狩猟集団など顔の見える僅かな人数に限られていたが、中世のそれは都市国家(=欧州)や藩(=日本)に拡大した。
近代になると、それは現在まで続く国家にまで拡張され、所謂「日本人」や「アメリカ人」といったナショナリティが人々のアイデンティティの柱になる。
現代は、国家から超国家的な域内連合への移行期であると言うことができる。「ドイツ人」「フランス人」のようなアイデンティティを持っていた人々が、その意識を「ヨーロッパ連合(EU)」として拡張しようという人類史上初の試みが、移行の流れを体現している。
イギリスのEU脱退は「想像の共同体」拡張史の終焉のように見ることもできるが、私はそうは思わない。
人類史は短期的な揺り戻しを受けながら、長い年月をかけてグローバル化・リベラル化という一つの方向に向かってきた。十年単位ではナショナリズムが勃興しグローバル化の動きを抑えることもあるが、百年単位でみれば世界は明らかに繋がりを増してきた。千年単位でみれば、そこに疑問を差し込む余地もない。
つまりイギリスのEU脱退のような揺り戻しはありながら、今後数十年あるいは数百年かけ、人類のアイデンティティの足場はそれぞれの国家から地域共同体に拡張されていく、と考えるべきである。
「想像の共同体」拡張の主人公
それでは、グローバル化という「想像の共同体拡張作業」とそれに対する揺り戻しは誰の手によって引き起こされてきたのか。
前者を牽引してきたのはリベラリスト(理想主義者・革新派)。
後者の旗を振ってきたのはリアリスト(現実主義者・保守派)であろう。
例えば、現在の日本でもリベラリストは「中国・韓国と手を取り合いアジア全体の共同体を作るべきだ」と主張し、一方のリアリストは「言語も文化も異なる中国・韓国との連帯は不可能だ。日本人の連帯を強めるべきだ」と主張する。
どちらの主張も間違ってはいない。
これまで述べてきたことを踏まえると、今後百年単位でみれば日本と中国・韓国との壁は崩れていくのではないか。その意味で、リベラリストの掲げるアジア連帯は正しい。
しかし、それを今すぐに実行するのは無理筋である。人々の意識は数世代かけて徐々に変化していくもので、現在の日本人には「中国人や韓国人と痛みを分かち合おう」という心理的土壌が形成されていない。その意味で、リアリストがアジア連帯を否定する主張も正しい。
リベラリストとリアリストの役割
要するにリベラリストとリアリストの思想差は、社会変化を長い目でみるか短いスパンで考えるかの違いに尽きる。短期的にはリアリストが正しいし、長期的にはリベラリストが正しい。
だからといって、リアリストが目先のことしか見ていない愚か者だとするのもまた間違いである。なぜなら、社会の短期的な安定はリアリストの手によって図られるからだ。
例えば、いま目先に他国の軍事的脅威が差し迫っているにもかかわらず、リベラリズム的に「日本は軍備を放棄して相手国と話し合うべきである」といったところで説得力は無い。目先の脅威と戦うためには現状確立した「国家」という「想像の共同体」を足場にして自己防衛を図るしかないのである。前線に立つ日本人は、同じ文化や歴史観を持つ日本人のためにこそ戦ってくれるのだ。このような場面では、現在確立している「想像の共同体」を蔑ろにし闇雲にリベラル化を図ろうとしても無駄である。
リアリストの強みはここにある。まっすぐ現状を見つめ、変化を急ぐことなく差し迫った課題に対し的確な手を打つのがリアリストの役割だ。
まとめ
人類社会は、長期的に理想社会を推進するリベラリストと、短期的な安定を確立するリアリストの協働によって、安定と革新を両立しながら少しずつ進んでいくのである。
リベラリズムだけをもって急激な変化を求めれば必ず綻びが現れる。
しかしリアリズムだけをもって現状の安定に甘んじれば、人類社会の進歩は止まる。
現在の日本でもリアリズムを志向する与党とリベラリズムを志向する野党が対立する場面は多い。意見が食い違う理由はここまで説明してきた通りであり、どちらかが100%間違っているということはない。両者が相手の主張の依って立つ思想的土台に目を向け、互いを尊重する姿勢が必要である。
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