第3話 ガン宣告で余命宣告‼
えっ!私死ぬの~??
実は3年前に母をガンで亡くしました。
我慢強かった母、泣き言を言わない母は私の目でも分かるように日々痩せ衰えて行ったのです。
これは違う!と思い県立病院へ連れて行ったところ、医師がこっそり私に言いました。
生きて3ヶ月、私は目の前が真っ暗になりました。。。
どうしよう。。。と思った時、戦場の中の戦士の様な姑と小姑は"看病して来なさい"と言ってくれました。
な~んだいい人達だ~!
みんないい人なんですね。
戦場にいると戦士になってしまうのですね。。。人は。。。
恨みと怒りになっていた私の心が一瞬にして吹き飛びました。
母に
“自由になりなさい。。人生は一度しかないのよ。”
と言われたこの言葉。
なんと今度は自分が余命宣告されたのです。。
余命1年と言われたのですが1年をどう過ごそうかとノートに書き始めていました。
○退院後は2度と家に戻らない!
○自分で鍵を持てるアパートに引っ越ししよう!
○本屋さんで立ち読みして好きなコーヒーショップで良い音楽聴きながら、、、
○海にも山にものんびりしに行こう、、、
○仕事もやろう、、、
○友達とのおしゃべりも楽しみ!、、、
すぐにノートはたわいのない事ばかりですが沢山のワクワクする事でびっしり書き込まれていったのでした。
なんと!!本当ですか??
入院手術が済み3~4週間が過ぎました。退院時に医師から衝撃的な事を聞かされました。
私のガン細胞はガンは認められない!との事!
リンパ節までも取ったりしたのですが、、
えっ!医療過誤だったの??
周りの人は訴えなさい。と言う人もいました。
しかし私にはこれは奇跡だ!!
喜びしか感じなかったのです。
これで私は自由になれる!!
“お母さん!自由になれたよ!!”
あの時の思いがふつふつと蘇ってきました。
あの3年前の母の看病の時の言葉があったので奇跡が起きたのだと思います。
それからはノートに書いた通り、夢をひとつずつ実現していったのでした。
書いたことが実現する!と言うのを実感しました。
夢ファイルでなくても就活ファイルでも実現します!
1日3職の仕事
病院からは家に戻らず、高校生、中学生になっていた子供と3人でアパート暮らし始めました。
お金の援助も一切受けず自力でやっていくと決め自由になった私は自身の英会話の経験を生かして英会話教室を始めました。
早朝は大手企業にネイティブの人を派遣して会話教室を開き、昼間は音楽教室で子供向けの英会話教室をプロデュースしてカリキュラム作成から指導までのプログラムを開発しました。
夜はレストランのマネージャの仕事。
忙しい毎日…
怒涛の如く月日が流れていく…
しかしアパートを出る時に鍵をかけるあの“カチッ”という音が涙が出るほど嬉しく
“私は自由!!”と大声で叫びたかった!嬉しかった!!
誰にでも何かしらの強みがあり、生かせていないだけで何だって生かせる方法はあるのだと今なら確信しています。
それから一日3職の仕事で休みなく働いても具合も悪くならず生き生きとした毎日を過ごすことが出来ました。
客室乗務員で独立の経験も経てそれから8年後にやっと離婚届けにハンを押してもらえました。
もう、私は50前になっていたのです…
そして
自由になった私は第4話へ
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第4話 もっと羽根が広がり海外へ。。そしてチャンスが訪れたのです!
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