保育園児は友達または仲間だった
保育士を選んだ理由は、こどもは小さければ小さいほど魂に忠実で、頭で考えているより本能で動くものだからだ。
言葉が話せなくても伝わることはたくさんあって、彼らはただ、生きようとしている。
全身で訴えようとしてくる。
その『生きている』感じに触れたかった。
その生き物と同じ時間を過ごすことが楽しかったし、沢山の学びがあって、本当に充実した日々だった。
ちょっと先に生まれて、人間として社会に出ている存在として、知っておいたほうが良いこと、生きやすくする最低限のルールを伝えてきた。
余分なことは言わなくて良い。
自分たちで考えていく力の元の元のほんの少しのヒントを体当たりで見せてきただけだ。
園児は友達であり、仲間だった。
私と園児の間にはリスペクトがあった。
ただ、それを余計な親がぶち壊した。
残念だがそれが現実だった。
終わった理由はそこだ。
保育に良い悪い正しい正しくないは無い。
親の数だけ、先生の数だけ保育観があるのを改めて思い知らされた。
自分がこども達と仲良くできるような立場で関われる方法が見つかったら赤ちゃん達とまた遊びたいと思う。
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