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不動産目線のハワイの歴史

ハワイに不動産を所有するオーナー、ハワイの不動産業に興味のある方は、ある程度の不動産業にまつわる歴史を知っておくと、結構役に立つこともあるかと思います。

ハワイの土地がどのような経緯を経て一般市民また非居住者や外国人が所有できるようになったのかを、簡単にご紹介しましょう。

ハワイはもともと王政であったことはよく知られています。アメリカ合衆国唯一の「宮殿」であるイオラニ宮殿はその名残です。

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王政が敷かれ、封建制度だった時代、土地はそれぞれの王が所有し、私有という観念は存在しませんでした。土地は全てali’I nui(アリイ ヌイ)と呼ばれた王族もしくは最高官(チーフ)によって管理支配され、平民が耕すという仕組みでした。

土地はどのように区切られて、どのように管理されていたのでしょう?

各島はmoku-puni(モクプニ)と呼ばれ、それぞれmoku(モク)と呼ばれる少し小さめのセクションに区切られました。オアフ島は六つのmokuに区切られ、さらにahupua’a(アフプアア)というもっと小さな土地に区切られていきました。

このmoku(モク)もahupua’a(アフプアア)も山から海にかけての土地をカバーする扇型をしていました。ちょうどピザの一切れのような形です。

こういった区切りにして、山の恵みから海の恵みまでをカバーすることにより、生活に必要なものが入手できるようになっていたのです。先人の知恵ですね。

王はこのahupua’a(アフプアア)を高官たちに分け与えていきました。さらに小さく区切られたセクションは’ili (イイ)と呼ばれ、konohiki(コノヒキ)と呼ばれる曹長のような位の人たちに管理されていました。

実際にこの土地を耕していたのはkuleana(クリアナ)と呼ばれる平民でした。

平民たちは労働を提供する代わりに、作物の一部をもらっていました。この平民たちはその土地に拘束されることなく、自由に移動ができました。ですが、平民たちは土地を所有することは許されていなかったのです。

平民たちだけでなく、1800年台初期にハワイに入ってきたヨーロッパ人など外国人にももちろん土地の所有権は与えられませんでした。

ここに簡単に紹介したahupua’a(アフプアア)とkuleana(クリアナ)という言葉は今でもよく耳にします。

クアロア牧場などでは、実際に昔のハワイで行われていたahupua’aでの生活方式、生活の知恵や耕作方法を体験できるタロ芋畑体験クラスなどが設けられています。

これ、なかなか面白いです。

現在kuleana(クリアナ)という言葉は、「平民」という意味ではなく、「尊敬、責任」といった意味で使われています。その昔、民たちは「責任」と「尊敬」を持って土地に暮らし、土地を耕し、生活をしていたためだと思われます。

ちなみにahupua’a(アフプアア)などを含むハワイの歴史をとてもわかりやすく解説しているサイトがあります。下記の写真をクリックしてください。

ぜひこちらも参考にしていただき、ハワイの歴史や文化にもっと詳しく触れていただけるともっとハワイを身近に感じてもらえると思います。

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では歴史に戻りましょう。

1846年にカメハメハ王3世、Kauikeauoliによって、Board of Commission to Quiet Land Titles(平たくいうと「土地所有権に関する委員会」)が設けられ、その2年後の1848年に Great Mahele (グレートマヘレ)と呼ばれるハワイの土地大改革が開始されました。

この年から、ハワイ政府の利益につながるよう使ってもらうために、王族は所有する大部分の土地を手放して行きました。この王族が手放した土地は原則としてハワイ州政府の土地となりました。

このグレートマヘレは、ハワイ州の不動産ライセンス取得のための講習クラスで一番最初に説明されます。

この土地改革で、高官たちはもともと王から分け与えられた土地を所有権付きという形でもらい受けました。

そういった土地はKonohiki Land(コノヒキ・ランド)と呼ばれました。

平民たちは自分たちが労働していた土地を購入できるようになり、Kuleana Land(クリアナ・ランド)と呼ばれました。

王族以外が所有することになった土地は、Land Commission Awards、Royal Patents、Land Patentsという方法で「譲渡」されていきました。現在のタックスマップ(いわゆる「公図」)を見ると、こういった土地はそれぞれL.C.Aw, RP, LPと記載されています。

では王族の土地はどうなったのでしょうか。

王族がそのまま持ち続けた土地はCrown Lands(クラウンランド)と呼ばれ、王族が資金調達のために売却を行った時、上記の3種類の譲渡方法ではなく、Kamehameha Deed(カメハメハ・ディード)という形で譲渡されました。この譲渡方法は1865年で終了しています。

つまり、ハワイの全ての土地は、このグレートマヘレ(Great Mahele )という土地大改革からスタートしているというわけです。

ちなみに1850年にはハワイアン以外が土地を所有することが許されるようになりました。

この土地大改革は完了するまでに50年もかかり、徐々に現在のアロディアルシステム、つまり完全な所有権の下で土地を保有するシステムに切り替わっていきました。

(参考文献:"Hawaii Real Estate Exam Book, A Study Guide to the State Section of the Hawaii Real Estate Exam, Salespersons and Brokers
13th Edition" Annotated, Revised and Edited by Carol Ball, M.Ed., Original by Madge Walls)

余談ですが、クアロア牧場でアフプアア体験をされる場合、タロイモ畑でのタロイモ収穫体験などができると思います。これ、結構たのしいんですが、全身泥だらけになって、洗っても落ちないので、捨ててもいい服や靴を履いておでかけくださいね!


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みずあさぎ@ハワイ不動産
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