平和記念と平和祈念
2024年8月9日
今日は、長崎に原爆が投下された日です。
不謹慎ですが、はて?と
広島は平和記念、長崎は平和祈念
どうして違うのかなぁ?と思いました。
長さには、北村西望作の平和祈念像があるからなのでしょうか?
子供が小学生の頃、平和祈念像の右手は原爆を、左手は平和を意味すると教えてくれました。
調べてみたら、顔は戦争犠牲者の冥福を祈るという意味があるそうです。
あの大変な先の大戦が終わって79年。
でも、次から次へと大変な事が起きて。
今年の3月2日の朝ラジオで聴いた仲代達矢さんが朗読された詩を思い出しました。
春日太一さん著の橋本忍さんの伝記の中の一節を能登の方々へと
人は生まれて生きて死んでゆく
その生きてゆく間が人生である
人生とはなんだろう
あたかもそれは
賽の河原の石積みのようなものである
笑ったり
泣いたりしながら
皆それぞれ
石を積んでゆく
ところが時々
自分達のちからではどうしょうもない
鬼
災難
その他がやってきて
金棒で無慈悲に
その石を打ち崩す
人間はその度に涙を流す
表面的な涙だけではない
心の中が
いや
身体全体までが
涙で充満する
そして
嘆き
悲しみながらも
また石を積み始める
先日からの大雨の被害、地震。
そしてオリンピックでのアスリートさん達の悲喜交々な様子を見ても。
南海トラフ地震も身近になってきたような状況もあります。
私は、焦る事なく余計な心配をせず変わりなく過ごせている日常に感謝しながら過ごせたらと思っています。