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その調査結果はほんとに正しいの?実は怪しい論文の信用性について語る

どうも、はびでございます。
最高にご機嫌麗しゅうで存じ上げますぅ~!

さて今回のテーマは、以前からずっと疑問に思っていた【その調査結果はほんとに正しいの?実は怪しい論文の信用性について】についてだらりだらりと語っていきたいと思います。


本文

まず初めにそもそも論文ってなんやねん?と思われる方が大多数だと思うので、それをおさらい。

論文とは、ある研究テーマに関する事象を調べるために、客観的な文献や資料を幅広く 集め、それらを分析・考察した結果に基づき、自分の意見をまとめた文章である。

関西大学商学部 論文の書き方ガイドより

超端的に言えば、なんか調べたらわかったことがあるからそれをまとめて発表してみたぜ、ということらしいです。(意味合ってるよね?


ここにちょっと問題があります。

この論文を利用して、あれやこれやとしたり顔で語る人がいます。
確かに、何しろ頭のいい人が研究して出した結果ですから、そりゃもう相当説得力があるように見えます。。

けれど、僕にはどうにもそれが信用できません。
特に、特定のテーマを○○人に聞いて統計を取った結果、驚くべき結果が!というやつが相当きな臭い。

それもそのはず。
僕はこう思うんですよ。

そもそも、取ったサンプルの属性自体に問題があるんじゃなかろーかと。

例えば、『アメリカアリゾナ州の○○大学に通う学生1000人に聞いたモテる人の特徴とは!』

で出た結果を論文にしたとします。
その論文を見て、なるほどぉ、じゃあ俺も私もその論文を基に行動してみようじゃないか!って考えがちだと思うんです。

でもでもでもでもぉ。
ちょっと待ってくださいYO!

その論文のもとになったデータサンプルは

基本的に、
アメリカアリゾナ州に住むアメリカ人の学生
を利用しているだけにすぎません。

その方々は、われら日本人とは容姿も性格も趣味趣向も全然全く違いますよね?

そんな人たちをデータとして研究した論文は、全く違う属性の人たちにも通用すると思いますか?
特に、世界中で特異な人種と思われている日本人なんかには。

そう考えた時、この日本に住んでいる日本人たちにとっては、海外発の論文の、そもそものデータサンプルが日本人ではない時点で、ほとんど価値のないものじゃないの?というのが僕の意見なんですよ。

そりゃ乱暴にいえば、人類みな兄弟だぜベイベー!
みんなおんなじだぜいぇーーい!

と言うお花畑論をかざす人もいると思います。

でもお前はカレーが好き、俺はシチューが好き。
その状態でどっちの食べ物が好きかを聞いたら、そりゃぶつかるに決まっています。

きのこたけのこ論争とおんなじことですよ。
好みは人それぞれ違うんです。


特定のテーマの中での中央値を出したいのなら、分母(データサンプルにマッチする人)を揃えてあげないと意味ないと思うのですよね。

それこそ今回の論文テーマで言うなれば、

【日本の大阪梅田に住む梅田駅を使う学生1000人に聞いた、モテる人の特徴とは!】

この研究結果が出せたとするなら、その属性に当てはまる人たちにとっては価値があるんじゃないでしょうかね。

つまり、このデータを利用してモテたいと考えるなら、元々梅田駅を使っている同年代の学生限定ってなるってことですよね。

もちろん、どこまで細かく細分化するか、どこまでの属性までを許容範囲とするかは流石に僕もわかりません。

もしかすると何かしら特殊な判断方法があるのかもしれません。

だとしても、さすがに人種とか超えたものの論文結果には、僕ら日本人に大きな影響を与えるようなものじゃないと思うんですけどねぇ。

逆にこの辺について詳しい人がいるなら、むしろご教授いただきたい所存であります!

あとがき

僕は論文を書いたことはもちろんありませんし、ろくに見たこともありません。
ただ、優性思想発言により炎上した人がよく論文を基にして語っていたのを見て、何言うてんねんこいつは、と心で思ったものです。

こういう【偏ったデータサンプルを基にした研究結果】は、かなり害悪です。
特に日本のメディアはこのようなデータサンプルの取り方で、視聴者を都合のいい方向に誘導させようとしがちです。

けれど、そもそもいったいどんな属性の人たちからデータを取っているか、を注意して精査していければ、それらの情報に騙されにくくなるんじゃなかろうかと思うのですハイ。


ちゃんちゃん。

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