未知への追憶/抽象で世界を語りたい

昨日渋谷駅から徒歩4分ほど渋谷モディにて、落合陽一さんの個展を見てきました。ずっと行きたいと思っていて、今日外出できたからこのチャンスは逃すまいと、迷わずに行ってきた。もう「居心地良い」の言葉に尽きた。365日24時間息をひっそりと沈めて同化していたい。一人で行って正解だった。ひたすらじっくり満喫してきました。

私は落合陽一さんのメディアアートの作品も好きだけれど、私は落合陽一さんの世界観、特に言葉選びが好きです。noteやTwitterから垣間見える言葉をよく集めています。言葉集めというか、キラキラした宝石を集めているみたいで心が躍ります。とはいっても全部一度に飲み込めるわけではなくて、どういうことを言っているんだろうと考えたり、そこからまた色々想像したりして、「生」を感じます。とても大切にしているひとときです。

さてここ最近バタバタしてしまってろくに考える時間と書く時間を確保できていなかった中でも確信していえることが一つ。自分の課題として「抽象で世界を生きること」があると気付きました。私はあまりにも具体的な世界を生きすぎている。

具体の世界を例えるなら井の中の蛙といったところか。蛙は空の青さを知ることはできるかもしれないけれど風の匂いは知ることができない。

抽象と具体を行き来する、それ以前に抽象の世界に身を置く、まだ抽象の世界の住人に私はなれていません。

手っ取り早い方法としてはやはりノートの書き方を変えるっていうことでしょうね。メモの魔力、読んでもう返してしまいましたけれど、結局完全に自分のものにはできていない。最低ラインとしてコピーしていない。うむ、思い立ったが吉日、修正してみよう。とはいっても言葉集めの場合はこれまで通りで、思考を深めていくのは前田裕二さん流で。うまく使い分けてみようか。

それと自分独自の言葉を作ること。今のところ個人の最適化くらいしか思い浮かばないってことはやはり具体に浸りすぎているって実感する。

昨日見ていたThe Cove (Dolphin Bay)を今深堀りしているから明日のDiscussionの後に抽象化したものを少しはここに書き留められるといいな。少しずつね、一歩ずつやっていくしかないね‥

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