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東京で生まれ育った金田一央紀が沖永良部島に住んで5か月たった実感。

6月29日に沖永良部にやってきて、もう気付けば5カ月が過ぎた。
さっき、知り合いからいただいたお弁当の残りをタモリ風に炒飯にしていたら、ちょっと思いついたので、忘れないうちにここに書いておきます。人に見られてもいいし、何ならコメントいただけると嬉しいです。

僕は東京出身で、これまで東京と京都とロンドンで長く暮らしていて、高い建物は徳洲会病院か町役場か沖永良部高校くらいしかない沖永良部は、僕にとって未知の世界なのだ。
人口の少ない観光地には旅したことはあるけど、住むというのは全く初めてです。

字(あざ)というものの意味がしっかりと残っているし、
知名町・和泊町という隣町で競い合うことで面白くなっているし、
自動車やバイクがなければ不便だし、
船や飛行機がなければ島全体が枯渇するし、
安かろうと思っていた家賃は京都並だし、
カギは開けっ放しだし、
ヤマトはいきなり家に入ってくるし、不在の時は置きハイだし、
水道水は石灰分たっぷりだし、
12月なのにストーブはいらないし、
自分たちの土地の美味しいものを売りに出して自分たちは移入した食材を食べて、
知り合いに紹介してもらったらもうすでに僕のことをうわさで知っているらしいし、
知り合いと知り合いが実は親戚だったりするし、
ひとつのグループの中に必ず一人はその他の人の親戚・家系図が頭に入ってる人がいて、それをすごい勢いで教えてくれるし、(多分この人がウワサの発信源なんじゃないかと思う)
みんなで集まって飲み始めると雑談はとりあえず、一人一人まとまった量のスピーチをさせられるし、
お酒はビールとハイボールと黒糖焼酎くらいしか飲まないし、
基本的に男はシャイ言葉少なで、酒を飲まないと本音を言わないと思い込んでる人が多く、その飲み会をする家の女たちは朗らかで世話焼きで、台所でおしゃべりをしながら美味しいおでんを作って、飲み会が静まりかけたあたりにやってきて新しい話題をくれるし、
自分のやりたいことを言わないまま、とりあえずできるんじゃないかと仕事の無茶振りをしてくるひともいるし、
移住しろ移住しろと言ってくる世話焼きのおばちゃんが「いい子がいたら紹介する」とありがたくも言って下さったりするし、
余ったからこれあげるよ、といっておいしいマンゴーやバナナ、ミカン、野菜を分けて下さるし、
昼寝してると友達が「おーい」と声をかけてくれるし、
夜は「なにしてる?遊ぼうぜ」と声かけてくれるし、
お互い様だから、と飲み代をごちそうしてくれたりするし、
次遊ぶ時には「こないだのやつね」といって、純粋な贈与関係が構築されていくのが目に見えて楽しいし、
とびっきりおいしいご飯屋さんの値段が1000円以下だったり、
ラーメンがめちゃくちゃ普通すぎて東京なら500円以下だろうって思う店があるかと思えば、同じ値段で本格的においしいとんこつラーメンが食べられるお店もあるし、(ラーメンなら、自分で作るのが一番うまいんじゃないかと思ってる)
人口の3割が農業に携わっていて、
島の産業はその農業が中心になっていて、
音楽をたしなむライブハウスはあっても劇場はなく、
そのライブハウスも普段は居酒屋として動いているし、
子供を大事に育てることを何よりの美徳としていて、
役場の人たちは出来るだけ人口が増えるように知恵を絞っていて、
古い歴史と失われた慣習と消滅しかねない言語を、土地のあちこちに刻み込んで、
晴れた日の天の川と透明な海に流れ星と虹色の魚とウミガメとクジラがいる。
そういう、ところです。

僕は根っからのシティーボーイなので、本やプラネタリウムでしか見たことのない牡牛座やアンドロメダやスバルに感動したり、水族館でしか見たことない魚と一緒に泳げるなんて夢のようだと思ってて、こういう景色や体験が人間を自然に戻してくれるんじゃないかと思ったりもする。
都会の仕事場のめんどくさい人間関係にうんざりして、こういう美しい自然に触れることで癒される人は、どうぞ沖永良部に来たらいいと思う。
全然整備されていないから危険がいっぱいだけど、自然を整備する代わりに沖永良部にはガイドさんがいるから、たっぷり満喫できると思う。段差ばかりの古い旅館で力自慢の仲居さんたちが車いすごと持ち上げてくれたりするみたいに、満点のサービスを受けることが出来ると思う。
そして気付くはずだ、人間関係にうんざりして癒されに来たところにも、人間がいて、そこで暮らしていることに。
一目ぼれして移住したいと思う気持ちは分かるけど、移住する前にきちんと地元で人間関係を構築しておかないと、都会でうんざりした人間関係というものに再びうんざりすることになる。
沖永良部は人口は少ないけど、みんながみんなの顔を知っているということにはならないくらいの規模だ。顔の広い人はいるけど、そういう人は顔が広いからこそできる仕事をしている。議員さんや組織の代表や役場に勤めていたりする。
人間関係をうまく築くことが出来ずにすり減った心を癒しに来た沖永良部で、再び人間関係を作るために気を揉まないといけない日々が来ると思うと、ちょっと恐ろしい気もする。
おかげさまで僕は人間関係については「気にしない」をモットーにしてるもんで、僕自身の人間関係についてはあまり悩んだりはしないけど、ミュージカルのキャスティングの時にはめっちゃ考えた。みんな、自分のやりたいことよりも人間関係を大事にしているからだ。それだけ、この島の人たちは人間関係を作ることに関してはプロフェッショナルだ。
このプロフェッショナルに人間関係の作り方を教えてもらえたらいいのだろうけど、傷ついた心の持ち主には荒療治のきらいも否めない。

東京には駅ごとにコミュニティーがある。阿佐ヶ谷で飲んでてうんざりしたら、西荻窪にいけばいいし、そこでダメなら新宿や赤羽や蒲田や池袋、渋谷、銀座、新橋、人付き合いの上手な人に出会える場所がたくさんある。星の数よりも多い飲み屋に行って、店主や客がつまらなかったり、おいしくなければさっさとずらかって、好きな場所を探すことも出来る。
水が見たければ川や海がある。緑が欲しければ世田谷にいけばいい。
僕に言わせれば、癒される場所は東京の方が俄然多い。自分で作れない美味しいものが食べられるし、3年も会わなかった友達と気軽に会えるし、新しい人間関係を作ることも出来る。
東京は僕にとって癒しの土地だ。
京都やロンドンや、沖永良部島は僕の仕事場だ。戦場だ。実力が試される場所だ。

東京ではできない仕事で、この島で出来る仕事がある。農業だ。
農業は自然相手だ。一緒に作業する人はいても少数だし、収益も確実だ。真面目にやれば安定する。
人災にイライラすることあっても、天災にイライラすることはない。人災は解決できずに悩むけど、天災は解決法を考えればいいのだ。「まいったなー、じゃあ、こうしてみよう」で済む。人の恨みは死ぬまで付きまとうけど、長い雨は必ず晴れる。潔い。未来がある。過去に学び、未来につなげることが出来る。

癒しを求めて移住した人は、たぶん、農業をすればいいと思う。
僕は庭先の鉢植えもすぐに枯らしてしまうくらいにモノグサ太郎なので農業は出来ないなと思ってますし、人間関係がモノを言う演劇を作ることしかできないので、もうね、どうしようかなーって、思ってます。

あくまでも僕にとってだけど、沖永良部島は、厳しい戦場だ。

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