ライフストーリー アメリカ🇺🇸へ発つ
楽しいティーンを過ごしていた。突然アメリカへ発つ。
母は涙を堪えて、空港までは行かないと庭で最後の哀しげな顔を最後に。
友人4人が成田まで一緒に見送りに来てくれた。
泣いた。みんな大泣きだった😭
ポートランドで乗り換え。
引っかかる。質問攻めで通過できない。
若いし、派手だったし、😆所持金も少なく、その頃グリーンカードを狙った若い女性がたくさんいたこともあり、疑いの目。
怖かったより、涙のお別れをしたばかりなのに、ここで送還されたらネタ話し🤣とか、冷静なウケてる自分がいた。
散々色々な人が来ての質問攻めをとりあえず無事通過。
アメリカ到着🇺🇸!!
ワッフルハウスに行き、あーあの映画でみたワッフルハウス〜✨ 道路の広さったら、もうBIGで、全てに感動✨✨が、数日でカルチャーショックに変わる。私は辺鄙なジョージア州のオガスタ( マスターズ🏌️の地)へ行った(知り合いを頼りに),,
時差でしばらく夜は寝れず、窓から見える月を眺めて涙がゆっくりと頬を伝っていた。
夕立ち&雷が夏は結構毎日あった。
少しの雷で電気は直ぐに切れる。びっくりするぐらい直ぐに停電になる。水道も止まることもしばしば。
行くところが何もない。行くところは決まって近所の湖。
モールは一つあった。
もちろん今みたいに日本の食材も変えず、あっても3倍以上の金額か、賞味期限はとっくに切れている。日本食、納豆が恋しい。。
アメリカンドリームどころではない。ガ━︎━︎(゚Д゚;)━︎━︎━︎ン!!カルチャーショック。。。
たまには日本語が話したかった。
もちろん、ネットもない時代。電話代は1分360円ぐらいかな、の国際電話料金。
母に電話しても、元気?元気、元気ならいい、電話代勿体無いからと直ぐ切られる。もー誰かと話したい〜😭少しぐらい話を聞いてー!
お陰でお手紙が詰まったダンボール箱三箱!
でも日本から離れてみて、色々なことを感じた。
母国をこんなに愛しいと感じたことはなかった。
I miss Japan.
日本に住んでいて氣付かなかったことが山ほどあった。文化、習慣、歴史にまで感謝が溢れる、20歳の時にそんな思いが出来たのでした。