自然のリズム


自然の色

今朝は 久しぶりに 偽雲の少ない朝で 10年前のように コオラウ山脈の背後から昇る 圧倒的な輝きを放つ 朝日を 海の上から 拝むことができた。
このような光景に 毎日出会うことができれば 私たちは今 全く違った人として 生きているだろう。

毎日曜日の朝のラインナップは 波のいい日でも 人がまばらだ。多分 半分ぐらいの人は 教会に行くからだろう。
私の教会は 海だ。
海が 色んなことを 教えてくれし、気づかせてくれる。
ジーザスと 海とでは 海の方が 断然 生きてる時間が 長い。
それだけ 海は 沢山のことを知っている。
だから 私は 海を信仰している。
そして 波の上を シューんと滑るだけの 単純な行為に心奪われ かれこれ 30年以上も 同じことをしている。
同じことをしているのだが 水の粒子の回転から作り出される波への理解は 日々、経験と共に 深まっている。
他のスポーツは わからないが 波乗りは 若ければいいと言うものでもない。
全ては 日々の経験と 自然への洞察力から来る。
日々の経験と言ったが これは 海でだけの 経験ではない。人生全般の経験だ。
それらが深ければ 技術も深まる。
今では サーフィンは オリンピック競技の一つに 加えられたが、競技とは 全く違う側面も持っている。

私が 運転免許を取ったのは 一人で 波乗りに 行くためだった。
友達に 頼らずとも 行きたい時に行けるのが 良かった。なぜなら それこそが 海のリズムと シンクロする 方法の一つだからだ思ったら 即行動。
波乗りが 私のフットワークを軽くした。
行きたいと思ったときというのは 実は 海が呼んでいるときだったりする。
今 掃除中だからとか 彼氏とデートがあるからとか 
そういうことは 波のない日にすればいい。
今日の波は 今日しか来ない。同じ波は 二度と来ない。今 ここに。Be here now!
免許を取って 最初に買ったのは トヨタのコロナの
バンだった。
後部座席を倒して 寝ることもできたから 泊まりで 遠くまで 出かけることも出来た。
そして 会社員でいることを辞めた。
波のシーズンには 波乗りをしたかったから。
お金の続く限り 旅をして、次の資金を稼ぐために
海沿いの町で アルバイトをした。
そして コロナのバンから 四駆のハイラックス(1st gen)に乗り換えた。
砂浜をドライブして波乗りに行くためだった。
所有するものの殆どは 波乗りに必要かどうかで 決められた。
そして 気づくと サーフィンのメッカと言われる ハワイに移住していた。
ハワイに越すことなど これっぽっちも考えたことも無かった時にだ。
マッサージセラピストになったのは 化粧したくなかったのと 裸足で暮らしていたかったから。
それが 最終的には 自分で自分の仕事のスケジュールを組める=波乗りする時間が十分ある 生活へと導かれた。私の人生は 常に 波乗りと共にあった。
が、休む間もなく 突っ走ってきた人生が 更年期と共に 一旦 止まった。波乗りをしない人たちの日常を 経験した。それはそれで よかった。朝 7時まで寝ていてもいい生活に 当時は 感動した。
それだけ 疲れていたのだが 走ることに慣れすぎて 気づかずにいた。
そんな生活を 嫌になるまで 堪能し 久しぶりに 海に戻った。最初の頃は 波打ち際を歩くのにも 海水に 足元を掬われそうになった。
踏み込むと 足の沈む 砂浜を歩いていて よろけそうになった。
私のリズムは 海のリズムから かなりのbずれてしまっていた。
ちょっと 情けなさを 味わった。
その情けなさが 手伝って 再び きちんと 海に戻ろうと言う 思いにかられた。
お百度参りが 100回なのは 100回も詣でるうちに 
邪念が消え去り 心があるがままに なるからだろう。
その時 何を念じていたかさえ 忘れてしまうほどに 
無心に近づく。それこそが 瞑想する誰もが 目指すところではないのか?
私が 海に通うのにも 似たような部分がある。
収穫は 波に乗る 喜びもそうだが 頭の中を 空っぽにすることだ。
今のところ 100回詣でて 叶えたいことはないが 圧倒的な 朝焼けを見ていると 睡眠では消すことのできなかった 昨日までの 思いたちが みるみると 溶けて 剥がれ落ちた。
だから 私は 自然なしでは 暮らして行けない。

もしも あなたが 変わりたいと思いながらも 変わらないとしたら それは 同じ環境にいるからに 他ならない。
自分を変えようと思うなら 別の環境で 別のものを食べ 別の言葉を 話しているうち あなたは 変わっていく。あるいは 身体が 別の動きをすることで 変わっていく。
私たちの身体は 70%以上が 水分からなっている。
コップに入った水が コップの形になり マグカップに入った水が マグカップの形になるように 私たちも
環境と言う 器の中で 流動的に 形を変えるべきだ。
それは 至極 自然なこと。
にも関わらず あなたが 変わらないのだとしたら 
あなたは 別の環境にいても 常に あなたの頭の中しか 見つめていないのだろう。

感動とは 感じて動くのだ。何が?心が である。
自然には 心を動かす力が 備わっている。

*上の画像は 加工なしのそのままの色です自然が
光の下で あらゆる色に変化するのを見るだけで この世界に降り立って 良かったと思うのです。

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