輝き
最近 我が家の ネコ様達は 圧倒的に輝いている。
変わったことと言えば 今年に入り 私は 仕事のペースを
落として 家で過ごす時間が 長くなった。
何十年も続けてきた波乗りも 最近では それほど気にならない。
以前は 暗いうちに海へと出かけていたが 今はその時間に
高齢のネコ様と 布団の中で 丸くなって 朝日を迎える。
今は ノミが多い季節。薬は使いたくないので 頻繁に 専用の
櫛で梳かす。それも 4匹順番に。
そして 彼女達と 会話する時間を持ち 彼女達と 何をするでも
なく ただゴロゴロする。
それだけで 彼女達は 圧倒的に 輝きを増した。
先日 ミトコンドリアの話しを 少し書いたが 命は分けて分け与えて
生きている。
バックトゥザフューチャー2だったかに 主人公が写真をギターの弦に
挟み ダンスパーティーのステージで 演奏するシーンがあり 写真の
中の人物が どんどん薄れていき 消えていきそうになる。
意識を向けないと 存在が薄れていくのと なんだか似ていた。
意識とは 目で 目を向けるとか 目を逸らすと表現があるが
目を向けるのは 良くも悪くも 気になるからだ。
目を向けない時というのは 気にならないか 気に入らない時だ。
見るという行為は エネルギーの流れが そちらにいくということだ。
気を取られて 危ない時もあるから 何をみるのかは 気をつけた方が
いい。
長い計画の後 2020年に実行に移された一件は エネルギー界での
略奪が始まったことを 示していた。その証拠に 目に見えないものに
怯えた人が 世界中に一体 何人いただろう?
私たちには 本来 エネルギーを感じる(見る)力が 備わっている。
その感覚さえ 取り戻せば あらゆる嘘を見抜くことができる。
誰も 嘘を聞くために時間を割かなくなるだろう。
光が 強くなれば 嘘が 明るみに出る。
が そこにだけ目を向けると 今度は 見るものの気が そちらに
流れていく。
見るだけでなく 観る力をつけること。
そのためには 第3の視線が 必要だ。
私が見ている。
私は 見ている私を 見ている。
私は 見ている私を見ている私を 見ている。
これが 第3の視線だ。
私は いつも 自分が 自分を見ていて 自分を見ている自分を
見ている存在を 感じている。
それが 三位一体なのだと思う。
父と子と精霊のという意味は 本来 同一人物の中に 存在し
それは 客観性というか 観察眼なのだと思う。
そして 輝きは 肉眼でなくても 感じることができる。
それは 私ちの一部が 植物由来の種であることの 証明では
ないだろうか?