アホ化していく人類
先日、スーパーの卵売り場が ガラガラだった。
見慣れないメモ書きに お一人様2パックまでと書いてあった。
ちなみに ハワイでは1ダースが$9ぐらい。
日本の消費者が卵の価格に嘆いているから いくらなのかと
調べたら 驚きの安さに 養鶏場を営む人たちのことが 逆に
心配になった。
確かに給料が何年も足踏み状態なのに 物価だけが上がったら
やっていけなくなるだろう。
こんなところだけ見ても 日本は意図的に混乱させられていると
しか思えない。
アメリカの卵不足は 鶏のインフルエンザかなんかから影響して
いるらしいが 被害を被った養鶏場は二束三文で売りに出され
資本家の手に渡るのかもしれない。
そして“品不足”という不安を刷り込まれた消費者は 品不足が
解消されても 品不足になる恐怖から 卵を買い続けるのだろう。
幸い私の住む町には 大きな養鶏場があり 直売もしているので
ほとんどの人は 卵不足をそこまで真剣に捉えていない。
それよりも 数年前のトイレットペーパー不足は 個人の大量買い
占めに基づいたものだったと 当時多くの人が気づいたので 今回の
卵に関しては パニックが起こらなかった。
というか こんなことが何度も起こったら「狼と少年」だってことに
気づくのが普通だろう。
ドラッグストアーに足を踏み入れるたびに 無料ワクチンの店内放送
が繰り返し流れるのが聞こえてくる。もちろん機械的に作られた声だ。
洗脳なのか 単なる宣伝なのか?
その感情のない声を聞くたびに 世界は ますますアホ化していくの
だろうと思ったりする。
トランプ大統領の就任式が つい先日開かれたアメリカだが 世界が
大きく変わっていく流れの中で 彼個人に期待することは あまりない。
かといって 悲観しているわけでもないのだが。
バイデンが遅延させていた ノースキャロライナの災害援助にいち早く
対応したトランプだが 国の代表なら やって当然のことをしたまでで メディアが それができなかった男と比較して 彼をヒーロー化するのは あまりにも稚拙だろう。
そもそも 基準にならない人を基準にすることが アホ化している。
コカコーラ社とペプシ社が それぞれの広告で それぞれを叩き合って
いた時代があったが アメリカの洗脳の典型がそこに見える。
どちらも似たようなものなのだが 叩き合うことで どちらかが正しくて
どちらかが 間違っていると言う錯覚を 消費者に起こす。
そしてそのことがさらに 消費を活性化していく。
式典でマスクは子供のようはしゃいでいたが それは明らかに トランプを通じて 今こそ彼のプロジェクトが実現に向かうだろうことへの喜びを隠しきれないのだろうと感じだ。
が あくまでも政治である。本来 市民のためにあるべきなのだが 現実は 個人のために行われている。だから 彼が はしゃぐより、市民が はしゃぐぐらい嬉しいことを成し遂げてくれた時にこそ 彼も はしゃぐのが筋だろう。
あの浮かれ方は トランプ家の最年少 バロンの落ち着きとは とても
対照的だったし 私には何か気持ち悪いものとして映った。
昨日の天気予報で 今夜から大雨のはずなのだが 今のところ 奇妙な
突風が吹いている。
午後近くから かなりのケムが上空に広がり その下には異常な量の
人工雲。そして 途中から耳障りな EMF。
不自然な要素がこれだけ揃っていても そのことを口にすると 嫌な顔をされる。
コバルトなど これまで 地下にあった金属の多くが 今地上にある。
そこだけ切り取ってみても 世界が大きく変わることは 明らかなはずなのにだ。
発掘が行われる前の地球の磁場は 埋蔵されている金属の影響を受けている。それが発掘され商品化することで 分散していく。
EMFの影響を考慮しなくてはいけない時代に生きているのも そう言うことだろう。
人体に影響のあるものは 基本的に地下にあった。ウランだってそうだ。
地下にあることで 地上に生きる私たちは 守られていた。
それが 地上に出てきたことで 今度は地上を危険に感じて 地下壕を
作らなければいけない羽目になっている。これもアホ化の一つだ。
生命は常に環境によって進化してきた。
世界が大きく変わるのは 何もNWOを掲げる人たちがいるからではない。
大きな環境の変化の中で 私たちは 動物としての進化を迫られている。ここ数年 大量の人が亡くなるようなことが起こったのも 進化の過程ということで見るなら 起こり得ることなのだ。
海の生物が 初めて陸に上がった時と同じように。
人口削減からの トランスヒューマニズムだって 結局はこうした進化の
過程の中で 成功か失敗かを迫られることになるだろう。
ロボットだって酸化していくのだ。だからこそ 人体には再生能力があり
細胞が定期的に 生と死を繰り返している。
死から逃れようとあらゆる発明を繰り返してみたところで 死があるから
こその生なのだから 死がなくなれば生もない。が 科学者たちは狂信的
だから 死の存在しない世界を構築しようと躍起になり その代償にたくさんの人を殺しているのも アホ化している証拠だ。
昨日 オフィスの裏で 野良猫たちに餌をあげているときに 隣のヘアーサロンの モップ用のバケツを覗いた。
近所の住人が ひよこがいるといっていたからだ。
バケツの中には 3羽のひよこが ぐったりと横たわっていた。
雌鳥は見当たらなかった。
2羽はすでに死んでいて、1匹はまだ呼吸をしていたので オフィスにつれ
帰り 日の当たるところに置いて 綿棒で少しづつ水をあげた。
目も開けれないほど弱っていたのに 少し経つと立ち上がれるぐらいに
回復した。
近くに動物の餌を売る店があるので そこでひよこ用の餌を購入した。
2時間半ほど仕事があるので 小さな箱にタオルを敷いて 車の中の
方が暖かいから そこで待ってもらうことにした。
予約の合間に 覗きにいくと寝ていた。
家に帰る前に ドラッグストアーで ホッカイロを買って 夜は
ホッカイロを入れた箱の中で 寝てもらうように準備した。
枕の隣にその箱を置いて寝たのだが 明け方目を覚ますと なんだか
あまりの静けさに 妙な感覚がした。
灯りをつけて 箱に被せていた布を取ると ひよこはうつ伏せになる
ように横たわり 息をしていなかった。手に取ると ホッカイロのせいか体はまだ暖かかった。そして 右の胸のあたりが腫れていた。
これまで何度か 巣から落ちた野鳥のヒナを 世話しようとしたが
うまくいったことがない。
親鳥が迎えにきて 連れ去ったケースを除けば どれも死んでしまった。
そして そのたび 鳥たちが生きていく環境を作ることの難しさを
思い知らされる。
地球は あらゆる種類の動物が共存しながら生きていける環境を
整えてきた。それは 人知の及ばない所だ。
技術の進歩は 人間の生活を支えるのだろうが 人を自然から遠ざけて
いく。
自然の中にだけ 生と死の循環がある。 循環しなくなることは
いろんなことが 回らなくなるということだ。
昨今の海の様子は 何かが回らなくなってきていることを 感じさせる。