スタイリングは寝癖から、そして15
人生のある時点から 靴を履いたり 毎朝 髪の毛をセットしたり
化粧したりするのが嫌になった。
都内で暮らしていた 80年代は 一応 OLと呼ばれる部類に属して
いたから マダム ニコルや ジュンコ・シマダのスーツに
ハイヒールが トレードマークだった。
あの頃は 子供の世界から 大人の世界に 移行したばかりで
大人のすることを 楽しんでいた。当時は 洋服も靴も 品質が
今のものとは 比べ物にならないぐらいに 優れていた。
そういうものを 身に付けれることが 大人の楽しみでもあった。
マダム ニコルのハイヒールは 当時 3万円ぐらいしたと思うが
ヒールの部分の皮が擦りむけたので 問い合わせると 修理してくれた。
デザイナーズブランドは デパートブランドや マイナーブランドに
比べて 価格は 断然高かったが アフターケアも なかなかだった。
プレタポルテ(既製品)でありながら オートクチュールのような
サービスを受けられるのもまた 大人の楽しみだった。
変化が訪れたのは 波乗りと出会ってから。
だからといって 全てのサーファーが 身だしなみを気にしないわけでは
ないので 勘違いしないでいただきたい。
あくまで これは 私の ストーリー。
波を追いかけていたら ハワイにたどり着いた。
キリスト教や イスラム教の信者たちが いつかエルサレムにたどり着くのと 似ているかもしれない。
適材適所とは ちょっと違うが 何か一つのことを追っていると
そのことをするのに 最適な場所にたどり着く。そういうことだと思う。
波乗りを始めて 30年以上が経過した。
が、波乗りが成長したのは ここハワイに移住してきてからだ。物事には
その物事を 育てるのに 最適な場所がある。
日本にも そのような場所がある。が 日本のそのような場所に 私は
縁がなかった。仮にあったとしても 自分の意見を言う女は 嫌われる
時代だったから アメリカに来ることは そのような文化から自由になれる 良いチャンスだった。
そして 南の島での生活は 色んなものを 差し引いてくれた。
特に 靴はむれるから 履きたいと思わない。ビーサンが主流。
化粧しても 汗で崩れるから 口紅さえも持っていない。
砂浜を歩くことが多いから ペディキュアは 長持ちしないし マニキュアも含め 爪が呼吸困難になるのを感じるから しないことにしている。
窮屈な服など着ていたら 汗で不快になるから 全部緩め。
そして 髪の毛は ほとんど櫛を通さない。
というのも 20代後半から 徐々に癖っ毛に変わっていったからだ。
必要であれば 手櫛で整える。整えても 窓を開けて運転しているから
必ず 跳ねてくる。
そして 気づいたことがある。
寝癖が 一番 スタイリッシュに見えることだ。
下手に自分で整えると 逆に崩れたように見える。
だから スタイリングは寝相に任せることにしている。
寝相によって 仕上がりが違ってくるのが面白い。
大事なのは 自分がそれを楽しんでいるかどうかだ。
話しは変わるが 15という番号は 私にとって大きな意味がある。
今の場所に オフィスを開いて 4年になるが 石の上にも3年で
3年間は 客足を 観察していた。
今年から 家賃が 上がったのだが 実際に いくつ 予約を
こなせば 家と店の家賃を払って 猫と私の食費が出るか
大まかな 数字を出してみた。
それで 月に60の予約をこなせば いいことがわかった。
ただ それは 贅沢せずに かつ のんびりと 生活していける数字だ。
それで 1週間に 15の予約を受けることを 目安に 仕事をしている。
不思議なもので ある週は 週の初めに すでに15の枠が埋まっている。すると 翌週まで 電話が鳴らなかったりする。
かと思えば、またある週には 週の後半まで 予約数が 10とか12とかで そんな時は 15はあくまで目安で 少ないときには 体を休めれば
いいと思っているかのだが 週末に 畳みかけるように 予約の電話が
鳴り 最終的には 15に達する。
それと 顧客のほとんどが 近所の人たちなので ウェブサイトを
解約して 様子を見ることにしたら ウェブサイトをなくしても
同じ結果だった。逆に ウェブサイトをなくしたことで 旅行客からの
突然の問い合わせに対応したり 予約枠がすでにないのに電話が
かかってくることの手間が 省かれることとなった。
こうした経験から ビジネスも人生も 頑張れば 思い通りに行くわけでもないことを知った。そこには 自分には見えない 何か偉大な力が 常に 働きかけて
いる。
だから 髪型は 寝癖ぐらいが ちょうどいいと思っている。