ここだけの話

最初に、遺伝子治療に関する 大変わかりやすい記事を見つけ
ましたので ここでシェアしたいと思います。
何が正しくて 何が間違いかと言うことは それぞれの価値観に
よって変わってきます。それは 命の価値観でも そうなのだと
思います。いまだに接種を継続される方がいるのも そういうこと
なのだと 理解しています。
ただ そうした価値観に囚われず 現実として 何を選択するのか?
と 問われた時 あなたの判断は どのように変わるのでしょう?
何を選択したとしても その選択をするに至った裏付けを 取るにも
以下の記事を読んでいただき そのまま進むもよし 折り返すのもよし
立ち止まるのもよしです。誰もが それぞれの命に対し 納得のいく
選択ができますように 祈っています。


話しは変わりますが、私はアメリカ在住25年、市民権を取得してから
まもなく11年になります。
25年も住んでる割には 市民権の取得が大きくずれたのはどうして?と 思われることでしょう。
それは 単純な理由からです。どこから見ても コテコテのアジア人
なのに アメリカ市民ですと名乗ることに 大きなずれを感じていた
からです。それなら 選挙権がないだけで 税金を納め 市民と同じ
でいられる グリーンカード保持者でいいじゃないと思ってきました。
最初の更新は延長期間がそれほど長くないのですが 次の更新からは
10年ごとになります。2度目の更新が近づいてきて手続きをしようと
料金を確認しました。すると最初の更新の頃と比べ 料金がかなり上がっています。それもそのはず、大統領が変わる度に 料金が上がるのです。
そして年齢的に あと何度更新が必要か?と計算した場合 長生きすればするほど 更新費用は嵩むわけで、それで 市民権取得との費用を比較
してみたところ 市民権取得のほうが安くつくことがわかりました。
一度取得すれば 更新が必要ないからです。
そのころは オバマ大統領が2期目の後半で 本人が 次期はないと
言っていた時でした。
なぜだかわかりませんが その時の私は 大統領が変わらないうちに
とにかく急いで手続きしないと 大変なことが起こると言う 強い思いに動かされ決断しましたが 申し込みから 試験と面接を受けて 授与式まで たった6週間と言う 驚異的なスピードで終えることができました。
試験の日も イミグレーションの係員の何人かが病欠のため 出勤していた人たちで 予定されていた全ての申込者の面接を終えなくてはいけない
ために 一人当たりにかける時間が 短縮されていたようでした。
私の試験官は 10問の質問をするべきところを 6問めを答えた時点で
正解の基準を超えたので 面接に移り それも数分で終えました。
ちなみに 面接で何を話したかは ほとんど覚えていません。
ただ試験官が 氏名変更するなら今した方が あとで料金を払って面倒な手続きをしなくてすみますよと言ったことだけは覚えています。
ただ ここでも どこから見ても コテコテのアジア人なのに バーバラ
とか シンディーとか あり得ないと思ったので変更はせずにきました。
 
大変なことが起こるという思いは トランプ大統領になって その理由が
わかりました。彼の政策により イミグレーションにかかわる 全ての
手続きに遅延が発生したのです。
私の友人は その遅延に合わせ その後のロックダウンの遅延が重なり
一度、国外退去からの再入国を指示され 結局は許可が下りたのですが 予定していた以上に 費用と時間と精神的なストレスがかさみ 許可が
下りて間もなく、奥さんから離婚を言い渡されました。
私は 政治はゲームで 裏では皆繋がっていると思っているので 誰の
ことも 狂信的にフォローするつもりはありません。
注意深く動向を見守り 必要であれば それに適した行動を取るのみ
です。

ここだけの話し 私の知り合いは バラクの親友で 高校卒業までを
同じ学校で過ごし 部活(フットボール)も一緒でした。
ある日知り合いは 私のオフィスに来て ほとんどの人が知らない
身近な話しを聞かせてくれました。
その一つに 学生時代から 今でも 繰り返される 二人の握手の話し
があります。
最初に握手した時に バラクは彼に ピッタリ(英語でフィット)と言った
そうです。
それは バラクの細長い指のついた平たい手と 知り合いのグローブの
ように分厚くごっつい指のついた手が 一見合わないように見えて 
実際 合わさると まるで凹凸のようにピッタリとフィットするところから始まったようです。一年に 数回しか 会わない今でも 会うたびに バラクはそれを確認するというのです。
そして「今だにピッタリだ」という彼の言葉に 知り合いは「深いよね」
と言いながら 感極まるように目を瞑るのでした。
それを見て 「あんたら愛し合ってるの?」「実はゲイでしょ?」と
心の中で冗談を言ってみるのですが 冗談でもないかも?と同時に
思う私がいます。確かに 体育会系は同性同士の距離が結構近かったり
しますが。
ある夜、ラブソングを自ら歌い 録音したファイルをメッセージしてきた知り合いですが その話しを聞かされた時から 決して二人の間には
入れないと思いました。いや 入れないではなく 二人はフィットして
いるから 入る隙間がないのです。
それだけではありません。バラクがバラクとして存在していること、
知り合いが 知り合いとして存在している背後には 父母祖父母自身が
その道を切り開いていたという 一代の努力でなし得ることができない 一代の努力が比較にならないほど 大きな血筋が見えます。
白人で父親と同じ名前を持つバラクの母親 スタンレーは USAIDからの資金提供で2年間 インドネシア政府のプロジェクトに 工業コンサルタントとして関わっていました。そして彼女と離婚したバラクの父親は
ハーバードで経済学を学んだ後 石油会社勤務を経て ケニアの経済省に入りました。
そこだけ見ても 両親が政治や経済と大きく関わった存在だったのは
明確です。そして どちらも 50代で亡くなっています。
知り合いの父親は検事で 母親は検察官。祖父はアメリカのオーケストラで初めてクラリネットを演奏した人物です。みなさん すでに亡くなっていますが バラクと知り合いは 出会うべくして出会った、同じ世界の
人たちです。
にもかかわらず 知り合いは 注入事業に参加しました。
そして それを聞いた時「今だにピッタリ」と言ってる割には その相手に 注入事業の危険性を知らせなかったことに 私は かなりショックを受けました。それとも知り合いは 私には 参加したふりをしていたのでしょうか?去年 知り合いは 膝の手術をしています。
ニセコで怪我をしたと言っていましたが 私は深部血栓からくる 膝痛
ではなかったのか?と思っています。
いずれにしても 人生が複雑化するのを避けるために あれから 知り合いには会っていません。
でも 気温が下がると ふと思い出すのです。
思い出は その当時の気温や香りと言った身体感覚とともに 脳に仕舞い込まれているのだと思います。
家族と縁遠い、友達という友達も持たない私にとって 知り合いは 稀有な経験をさせてくれた数少ない一人でした。
人生って不思議です。





 




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