叫ぶ酒
人が生きるってことには、ほんとうに無数の意味がわからないことが絡まりあって、関わっている。
みたいだ。
Blacklivesmatterの映像を見た時も、入管職員の暴行の映像を見た時も、パレスチナの虐殺の映像を見た時も、家庭内暴力を受けた人の目を見た時も、飛び降りたひとの本を読んだ時も、家族のなかで永遠になくならないようにへばりつくスライムと生きている時も。
寒空の下、締め切った心で早い相づちをうっていた友人は「産まなければよかった」と言われたらしい。
この世の苦しみはどこまで続いててどこにいくんだろう。
そこにあり続けてどうなるんだろう。
人を殺したり地球や世界を殺したりするんだろうか。
俺が言ったところで、俺がしたところで、その人を覆い、囲う状況は急激に変化したりはしないし、身の毛もよだって虫唾が走るような邪悪さだって消えはしない。
だけれど言わなければ。
だけれどそれは別に正しくはない。
だけれど語り広げなければ、存在を認識にしなければ。
だけれど家族の言葉で海底で土を呑んでるみたいで動けない。
だけれど、だけれど、だけれど、だけれど、だけれど
俺はどこへいく。
なにをする。
なぜそれをする。
なにがしたい。
なぜ。
ここはどこでせかいはなんで、人間って何。
まわる。
まわって、まわってるらしい。
地球も細胞も関係も歴史も文脈も水も物も宇宙も。
まわってるらしい。
俺もまわってて、そこから外れることも離れることもできないらしい。
でもまわってるからってさ、大切な人を殺された人、守らないってそれは嫌じゃん。
俺がそうなった時もみんなオブジェみたいに固まるってことでしょ。
そんな死に方嫌だし、そんな死に方誰にもさせたくないでしょ。
でしょ。でしょ。でしょ。
ちがうの?
みんなどこにいるの?
なんで、だれも、俺も、声もかけなかった?
人は邪悪だとか、そういうことじゃなくて、システムがそうしてて、でもそのシステムを作ったのも維持したのも人間で、人間は美しいときもあれば醜いときもあるって話で、だけどじゃあ、今ここでこう感じるこれはどうしたらいい。
これはなに。
声もかけない、ままでよかったの。
俺どうしても、止めたくないよ、生きてたことも生きてることも。
あーーー、でも俺も止めてる。
やめてる。
すきなこととか
言いながら避けてる。
叫んでる声にちょっと苦笑いしながら耳塞いで酒飲んでるわ。
全然気持ちよくないのにさ、やめられなくて。
やめたくなくてやり続けてる。
これは全部何処にいくんだろう。
これ持って何ができんだろう。
外れたい。