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香りのよい食べ物を食べる百合(お題箱より)
カヨはトーストを焼くのが世界一上手だ、と、言ったら、カヨは言った。あなたはコーヒーを淹れるのが世界一上手よ。
わたしたちの朝は、トーストとコーヒーで完成する。
ふたりで暮らす部屋に冷蔵庫と洗濯機を買ったら引っ越しのために用意した資金は尽きてしまって、ダイニングテーブルを買うのを諦めた。幸いにも部屋には作り付けのカウンターがあったので、わたしとカヨはそこで食事をとる。
だからわたしはカヨの横顔を眺める。決して長くない睫毛。栗色に染めた髪は根元が暗くなっている。私よりやや色素の淡い目の色。右頬にうっすらできたシミ。たぶんカヨは気づいていないもの。
わたしはそれらひとつひとつを確かに愛していた。
カヨと暮らし始めてじき2年目になる。そのあいだ、テーブルを買おう、とは、どちらも言いださなかった。わたしはそのわけを知っている。カヨもきっと、わたしの横顔を見ているから。そしてきっと、横顔しか見ていないから。
わたしとカヨの関係をなんと名指したらよいのだろう。それをたぶん、ふたりとも知らずにいる。知らないまま、この生活は日々を滔々と流れていく。快い日差し。カヨの選んだ、アイボリーのカーテン。わたしが選んだ革張りのソファはそれに似合わない。パステルカラーのUネックカーディガンのカヨと、ネイビーのスタンドカラーシャツのわたし。横目に見るカヨの髪のなだらかなウェーブ、わたしの黒ぐろとしたショートヘア。
それでもこの食卓が、わたしたちを確かにする。駅前のベーカリーで買うブレッドの上に、フランス製のバターが溶ける。わたしたちは同じ栄養を分かちもつ。わたしたちは同じものでできている。わたしたちの視線は決して交わらない。けれども横一列に並んだ色違いの皿が、ちぐはぐなわたしたちを繋いでいる。杢のカウンターは壊れそうなこの朝のなかでただひとつ正しくある。
カヨがいつものようにトーストを焼く。わたしはいつものようにコーヒーを淹れる支度をする。バターの溶ける匂いがする。わたしたちの朝が、完成しようとしている。
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