足立区滅亡少女小説
…の電車は……両…——まもなく——番線に——…直通…上野東京ラ……品…——
感情のない女性の声を遠くに聞きながら、少女は枕木を踏み越えた。
行きが…ります……黄色い…ブロック……がりください…こ…電…は
制御を失った機械は繰り返す。だが、その声が告げる列車はやってこない。少女は顔を上げ、線路の伸びる先を見渡す。平行線は川の手前でぶつり、と切れていた。千住新橋が落ちたのだ。荒川の向こうには街並みが、昨日までと何ら変わりのない街並みが見える。こちら側は——無だ。
足立区は滅亡した。
どれだけ歩いてきただろう、それは数十分だったかもしれないし、数時間かもしれない、瓦礫の層が連なるだけで代わり映えのない風景が少女の時計を狂わせる。昨日買ったばかりの靴は砂利で傷だらけになってしまった。なんの変哲もない茶色のローファーだけれど、新品が嬉しくて、体育のバレーボールの憂鬱も少しだけ軽くなったのに。靴ずれだって、気にならなかったのに。
雲のない空から夏の陽光が降り注ぐ。遮るもののないその熱が、少女を少しずつ疲弊させていく。額の汗を拭うと、薄塗りのファンデーションが指先に溶けた。ああもう帰ってしまいたい。しかし彼女に帰る家はない。だからただ目指す。瓦礫の中にただ一つ、そびえる巨大な建物。千住ミルディスI番館、北千住マルイ。
***
昨日まではペデストリアンデッキだったはずの瓦礫の山をいくつか乗り越えてようやく、自動ドアが見えた。壊れているのだろう、細く開いたそこからはあえかに冷気が流れ出していた。少女は息をつき、紺のスカートの埃を払う。もっとも、掌も土埃にまみれていたけれど。見上げると、二階のドアの先が断崖絶壁になっている。一週間前にはあそこに、歩いて行ったのに。
自動ドアは案外、少女の非力な腕でも難なく開いた。機構以外にも、なにかしら壊れているのかもしれない。二機並んだエレベーターは光を灯さない。電気は通っているようだが、こちらも壊れてしまったのだろう。無理もない。少女は回顧しようとし、けれど失敗した。”あれ”が一体何であったのか、彼女にはわからない。
一階のフロアに人の気配はなく、それでいて不気味なほど煌々と明るい。ショーケースの中ではフルーツタルトがつやつやと輝いていた。まるで外とは別の世界なのだ、とでも言わんばかりに。
そういえば、朝からなにも食べていない。倒れた自販機からまろび出ていた缶コーヒーを飲んだきりで、喉も乾いている。……これは、食べてもよいのだろうか。まさかフェイクではないだろう。バターの香りだってする。
少女がア・ラ・カンパーニュのカウンターに入り込もうとしたとき、
「あら、駄目よ」
穏やかな声が言った。
【続くかもしれない】